「熱き心とクールな頭のつくり方(略して「熱クー」)」の第3弾です。
今回は、プロフェッショナリティとビジョンが合わさると、魅力的な熱い語りを生み出すという話です。
プロフェッショナリティとは、特定の分野でしっかり飯が食えることをいいます。
ただ飯が食えるだけでなく、専門能力を生かし、誰にもできない仕事をして人に価値提供し、認められているというニュアンスが、この言葉にはあるといえるでしょう。
だから、プロフェッショナリティを持っている人は、魅力的に映ります。
本人からしてみれば、人が認めるプロフェッショナリティは自信になります。
そして、プロフェッショナリティは、自分がやりたいことを熱く語れる一つの基盤になります。
逆に、プロフェッショナリティが脆弱だったり、自分で自分のプロフェッショナリティを整理できずにいれば、発する言葉に迫力が出ません。
最近、何人かの大臣の「失言」が問題になりました。いずれもプロフェッショナリティに関わることだったと、私は思います。
「この分野は素人なので」という一言は、大臣としておかしいです。なぜ、素人なのに、大臣が勤まるのか。どう考えてもわからないからです。
しかし、かりに、専門分野が他にあるとした場合、その専門を「新たな分野」にどう生かして、自分だからこそ人にできない価値提供ができるのだと言えるなら、特定分野を扱う省庁のトップになる資格はあると、私は考えます。
プロフェッショナリティは応用がきくもので、2つ以上の分野の掛け合わせで一流のレベルになることも大いにあり得ます。
政治家であれば、特定分野の専門家としての知識も当然有効でしょうが、それ以上に、一つのビジョンのもとに、人を巻き込んで、ビジョン実現に向けてリーダーシップを発揮するというプロフェッショナリティが、最も必要でしょう。
一つの省庁といっても、扱う分野は多岐にわたっています。大臣は、元々、いわゆる「専門バカ」では勤まらないはずで、自分の一番の専門ではなくとも、自分の総合的な能力を生かしてさまざまな専門スタッフを動かしていけるかどうかがもっとも大事なはずです。
だからこそ、ビジョンを自分の言葉で語り、自分のどういう能力を生かして、どういう戦略でビジョンを実現していくのかを語ればいい。
それは熱い語りになり、結局、大臣としてのプロフェッショナリティを、しっかり語ることになると私は考えます。
その語りによって、関係者のモチベーションは上がるでしょう。
また、ビジョンを語る人のところには、かならず、いい情報といい人材が多方面から集まってきます。
大臣こそ、そういう人であって欲しいです。
ですから、その分野で経験がないから○○大臣の手腕は未知数だ、というのはわかりますが、むしろ、最低限の〈勉強〉をしたところで、その大臣がどういうビジョンを語るかについてメディアは注目し、取材して報道すべきだと私は考えます。
そうしていけば、政治の質は、かならず高まるだろうと。
ところで、国会議員のみなさんは、どれだけビジョンを発信しているでしょうか。
国会議員のウェブサイトを見てみると、当然ながら、世の中の問題点を正す、という視点はあります。しかし、ビジョンを語り、ビジョンをどういう戦略で実現していくかについて語っているウェブサイトは、与党も野党もまったくと言っていいほどありません。
国会議員が出てくるテレビ討論でも、ビジョンを語り合っているところをあまり見たことはありません。
つまり、「魅力的な未来像を描き、共感者を増やしていこう」という視点をもっている議員は、たいへん少ないのではないかと私は思います。
日本の政治の問題点が、ここに集約されているように思えてなりません。
新しい価値創造、新しい問題解決が求められているいま、自分のプロフェッショナリティを見直し、自分のビジョンを自分の言葉で語れるようになりたいと考えているビジネスパーソンは増えています。
ビジネス界の方が、政界よりもずっと進んでいます。
プロフェッショナリティを磨き、ビジョンを語る。
これは、決して難しいことではありません。
自分のプロフェッショナリティって何だろう?
自分のビジョンは何だろう? なぜそのビジョンなんだろうか?
こういう問いをたて、自分と真摯に向き合って自分の思考を書き取ることさえできれば、だれでも必ず答えが見つかります。
自分の何を磨いていけばいいのかが、これだけで見えてきます。
そして、人から共感され尊敬さえされ、応援してもらえるビジョンがかならず語れるようになります。
そうやって自信を持ち、自分の生かし方が分かり、人とつながり、未来がひらけて幸せな状態になった人は、私の周囲にもたくさんいます。