佐々木直彦の i to B ブログ

なかった過去を妄想する癖は役に立つのか



加藤紘一さんが亡くなった。たった一度、加藤さんの地元鶴岡ですれ違ったことがある。ただそれだけの、風に触れた程度のご縁しかない。それでも、やはり加藤の乱のことを、私は思い出してしまう。

あのとき、加藤さんは、たった一人でも出かけていったほうが良かったのではないか?

その思いが、ずっとあった。
「大将は討ち死にしちゃだめなんだから行っちゃだめだ」といわれながら谷垣さんに抱きかかえられるように押さえつけられていた加藤さんの映像を覚えている人は多いだろう。
加藤さんが出かけていくためには、どうしても強い言葉が必要だったと私は思う。

みんな聞いてくれ。負けは決まった。だが、本当の勝負はこれからだ。その勝負に勝つために、私はいちど死んで来ようと思う。この国を変えるためには、それが必要なんだ。私は多くのものを失うだろう。だが、その先に、未来につながる道がある。私を行かせないと、あとでみんなが後悔する。行かせてほしい。

加藤さんがこう言ったとしたなら、どうなっていただろうか?

自分の筋を通す一人の侍を、人々は見ることになったはずだ。そして…

加藤さんは、党を除名となり、派閥を失い、単なる一人の国会議員となっただろう。だが、国民が、このひとこそ宰相になるべき人であり、応援したい、と、何かが始まることになったのではないだろうか…

 

過去のことを、私はこのように妄想する癖があるらしい。

 

学生時代、私はバレーボールをやっていた。選手として一流とは言えなかったが、大学を卒業するころ、バレーコーチを仕事とするかどうかを真剣に考えていた。

それはけっして夢物語ではなく、すでに、高校卒業直後に、まったく縁がない工業高校からコーチのオファーをもらったことがあった。
ただ、その理由は、今もって謎だ。何の実績もない私になぜ、そんなことが起きたのか?
誰かが、私を推薦したから、なのだろうが、それが誰なのかわからなかった。

高校時代の監督に、いまも会うたび言われることがある。

おまえは、失敗したときのことをよく覚えている。多くの選手は成功したことしか覚えていないから、それ自体が珍しいのだが、さらにその時どうすればよかったのかをじつに具体的に語る癖がある。そういうやつはコーチ向いている。

監督は、一人時間差をうみだした日本代表選手の森田淳悟さんと日体大の同期で体育教師となった人だった。しかし、年齢も近く、偉そうにしない人柄だったせいか、誰もが監督を身近な兄貴くらいにしか思っていなかった。その後、県の協会のトップになったのだが、誰一人、そこまでえらくなるとは思っていなかっただろう。

終わったことを、こうしていれば、ああしていれば、と考えてもふつうは意味はない。
あとで「ればたら」をいっても、バカにされたり、嫌われたりするのがオチというものだ。
それなのに、私は、なかった過去を「もしもこうだったら」と妄想しつづけてきた。

監督は、それを、価値あることなのだと私に語り続けてくれた。

なかった過去を妄想する癖は、価値あることなのか?

私は、ようやくその答えを見つけた。

あの時こうすればよかったのだという考えは、次に似た機会が訪れたときに、それをやって結果をみることで、正しいかどうか検証できる。それを何度かやれば、こういう場合はこうすればいいのだ、というパターンが身につく。例外もわかってくる。なぜ例外が起きるのかもわかってくる。

この癖のおかげで、私はいつのまにか、その場の状況から重要なカギをみつけ、目指す状況をうみだすための、いくつかの仮説やオプションがすぐに思い浮かぶようになった。
現実に試すことができれば検証もできる。仮説を基に試行錯誤した経験値から、成功をうみだす確度が高まっていく。

こうして、私は、実力に劣るチームが、格上のチームに勝つ方法を見つけて実行することができるようになった。また、特定の選手個人が、特性を生かしてうまくプレーできるように変化を起こすためのアドバイスもできるようになっていったと思う。

なかった過去を妄想する癖は、価値があるようだ。

しかし、結局、私はコーチにはならず、コンサルタントになった。
いま、私は、未来に向けてどうなっていくかを妄想し、依頼主から、それをやってくれとか、やりたいから手伝ってくれ、とオーダーをいただき、その妄想を現実にしていくことを仕事にしている。

人には、リスクがあっても動くべき時がある。チャレンジすべき時がある。
コンサルを20年ほどやっているうちに、その時を感じられるようになったし、その時を逃すとどうなるか、予測できるようになった。
企業でコンサルをやっていれば、予測を立てた後どうなるか、結果を知ることができる。検証しながら法則が見えるようになる。

加藤紘一さんは、あのとき、どうしたらよかったのか?

彼があの時いうべきだった言葉と、その後の可能性を考えていると、ふいに泣けてきた。

電車の中。私はドアのそばに座って涙を拭いている。
向かいに座る人がいたが幸い気づいていない。
よかった、と思った。
しかし、ふと脇を見ると、ドアの前にひとり立つ少女と目が合った。
5~6歳。1メートル弱の距離。美少女だった。

どうしたの?
と少女の目は言っていた。

私は何となく笑い返すことしかできなかった。
たとえ言葉にしても、少女には伝わるはずもなかった。

男には行かなきゃいけないときがあったりするんだよ。

目で言葉を発してみた。
少女の目が大きくなった。
お互い、恥ずかしい感じになった。

少女は次の駅で降りた。

それで終わりだった。

だが、これもまた、かつて鶴岡で加藤さんが何人かを引き連れて風のように私とすれ違っていったときと同様の、一瞬の縁なのだと思う。