あけましておめでとうございます。 令和2年 いきなりだが、 ことしは、V で行こうと思う。 Vとは・・・ 自国開催のオリンピックイヤー だから、Victory これが一つ。 ムードとして、はずせないだろう。 弊社(メディアフォーラム)としては、 Visionary People, Visionary Society を目指して、活動していく。 この、Visionary のV これが一つ。 そして、もう一つある。 いま、とても気になっていることがある。 それは、日本ビジネスパーソンのライフキャリアの「希望」の話だ。 これが今日の本題だ。 どこが V とつながるのか? それは、こういうことだ。 この1~2年の間に、いくつもの大手企業が、45歳以上の社員を対象に、スタッフ職から、営業職や技術職など、より現場に近い職種への配置転換を実施した。 これは、早期退職優遇制度とつながっている。 スタッフ職だった人たちが誰でも営業や技術の仕事ができるわけではない。 したがって、実質的に「割増退職金をもらって退職せよ」というメッセージになってしまうケースが多数出てくる。 今後、定年は70歳に延長されるといわれるなかで、実質45歳定年制がはじまったといえるだろう。 会社側の事情もわかる。 非常にざっくりいってしまえば、既存事業の縮小傾向がはっきりしているなら、余力のあるうちに筋肉質の組織体質(財務含めて)に転換しておきたいという事情だ。 本当なら、新しい柱となる新規ビジネスを開発育成し、組織体質を変革し、前向きに新しい利益の創造を仕掛けたいのだが、おおむね各社、思惑通り行っていない。組織体質の変革より機構改革で乗り切ろうとしている会社も少なくない。 こういう時は、まず、コストカットの施策から具体化していく(確実に成果が数字に出るので、大なたを振るう大義名分も立つ)のが世の常・・・ 問題は、結果として、ビジネスパーソンが多数、準備がないまま、次の職を探さなくてはいけなくなる時代が来たということだ。 転職して同じ職種でやれるなら、まずはよいが、前職とカルチャーも一緒ということはない。さらに前職の収入を維持、あるいは上回れるような人は、10人に1人いるかどうか。 仕事環境も、生活も大きく変わるだろう。 フリーランスになる手も、もちろんある。しかしこれは、長年、大手企業で仕事をやってきた人にとっては、壁が高い場合が多いだろう。 独立自営業者になると、要はなんでも自分でやらないといけない。 だから、大手企業の場合は、大きな仕事の一部をしてきた人よりも、小さなプロジェクトを一人で回すような仕事を多くしてきた人の方が、自営業者になる壁は低い。 自分がどういう仕事をしてお客様から報酬をもらえるのか、商売人として売上を上げていけるのか。そして、モチベーションを持ってつづけられるのか。 これは、自分で意識して考え、試行錯誤した経験がないと、わからないことだ。 IT系のエンジニアはいま、完全な売り手市場なので別世界のようだが。 独立自営業者は、クラウドソーシングなどによって価格の低下が進み、結果として上層、下層の2極化が進みつつある。 単価の高い仕事を獲得するには、何らかの専門家でありながら、コンサル的な問題解決提案力、新しいものを創造するプロデュース力が求められる。 また、自分で、小さな事業開発をし、その中で専門性を生かすといった、これまでと違う工夫が必要になる時代になっている。 いっぽう、会社を辞めずに、まったく新しい状況を自分の力で創りだすという選択肢もある。 今まで働いてきた企業をやめることなく、まったく違う人になれる人は、じつは少なくない。 しかし、多くの人は、そこにも可能性があることに気づいていない。見本となる事例がこれまで少なかったことも、その理由だろう。 私は、この20年ほどの間に、ビジネスプロデューサー育成や、新規の方法論を開発するコンサルで、これまでとまったく違う人になって、それまでが信じられないような活躍をしはじめる人を多数見てきたので、これははっきり言える。 こういう時代には、いろいろな想定の下に、自分の可能性を試してきたか、将来に向けたキャリアの仮説を立てて準備をしてきたか、が問題になる。 そのチャレンジを、組織の中で、堂々とはじめることもできるのだ。じつは、そういうときにこそ、組織の外の人とつながって、そういう人の力を使うことが大事なのだが、とにかく会社を辞めずに「可能性を試す」ことは、できるのである。 いま、ビジネスパーソンにとって、新たな不安の時代がはじまったといえる。 しかし、不安というのは、常に解消の方法がある。 そして、いまは、自分のやってきたことの単純な延長でなく、自分の潜在能力も引っ張り出して、自分の特性を生かした仕事で稼ぐことが可能な時代になっている。 いや、そのほうが長くやりつづけて成功できる仕事に近づいていける。 日本の大手企業の実質45歳定年は、さまざまな新しいチャンスもつくりだすだろう。 だが、いま、多くのビジネスパーソンの中で、不安が拡大し、長い人生を生き抜いていくキャリアの希望が、一旦は、しぼんでいくのではないかと私は感じる。 そこに、今年、アプローチしていきたいと思っている。 希望を再構築したい。 Vで行こう! もうひとつのVは、 将来の不安をかかえた人たちの 「希望のV字回復」のVだ。 2020年、いろんなところに、Vをつくっていきたい。 ビタミン(Vitamin)をとって、ブイブイ行きますか。 ・・・ということで、 みなさま、ことしも、いろいろとお世話になるかと思いますが どうぞよろしくお願いいたします。
 私は今、コンサルタントをしている。しかし、ビジネスマンとしての駆け出しは、コピーライター系の制作マンだった。  大学を出るときは、ノンフィクションライターになろうと決めていた。そして、文章修行と社会勉強のために、リクルートに入社した、はずだった。だが、その後、私は営業、商品企画、編集を担当し、その過程でコンサルタントの仕事に目覚めてしまった。コンサルの勉強をできる産業能率大学に転職し、35歳で独立し、今に至っている。  コンサルとして独立した当初は、企業から、販促、人材採用、従業員向けの啓蒙や教育のために使う何らかのメディアが途中でできるコンサルを多くやっていた。  なんであれ、人を気持ちよく動こうという気にさせ、その人が社員でも、経営者でも、クライアントのお客様でも、前よりハッピーな状況を実現してしまう方法を追求していった。  その際にメディアは大きな役割を果たしてくれた。商品の売り上げを伸ばすための販促ツールとなったり、営業マンの教育ツールとなったり、社員が意識を共有し、ワクワクする魅力的な未来像を社内に普及させて社員が共有し、やる気を高めたり、ユーザーや社会に会社の新しい姿勢を打ち出してマスメディアに取り上げられていくようにしたりするために使われた。  だから、私はコンサルであると同時に、ライターであったり、ディレクター、プロデューサーであったし、デザイナーを雇ってもいた。  そのデザイナーは、うちがコンサル会社でもあったので、様々なチャートをセンス良く仕上げる技術を磨いていき、スムーズにフリーランスとなり、出版界でビジネス書系の図版づくりやDTPを請け負うクリエイターとしては最も高い価格をつけていて、この15年、つねに忙しすぎる日々を送っている。そろそろ、身体のことを考えてほしいと思うくらいだ。  10年間、プロデュースとビジョン創造を教えているデジタルハリウッド大学大学院では、起業を志す院生たちを相手にしてきたが、その中には、現役クリエイターが結構いる。  こうしてみると、私はクリエイターに関わって来たといえるだろう。  そのクリエイターが二極化している。  「上層のクリエイター」と「下層のクリエイター」の二極化。  上層は縮小し、下層が拡大している。つまり、中間層が上下に分かれていくが、より下層に取り込まれる人が多いということなのである。  これは、今まではクリエイターではなかった人たち(クリエイター予備軍、一般ビジネスパーソン)がクリエイターの仕事領域に参入して、安い価格で、そこそこの仕事をするようになったことが、大きく影響していると考えられる。  いまクラウドソーシングという世界が広がっている。ウェブサイト上で、お互い顔も知らない人間同士が、仕事をやり取りする。価格が安ければ、ダメもとで頼める。そこで十分じゃないかとなれば、その価格で、リピートが起きる。  たとえば、忙しくてパワーポイントできれいに仕上げる時間もテクニックもない人が、美しく仕上げられますよ、という人にパワポの下書きデータを送る、そして10枚の気の利いたビジュアルが入ったスライドを1万円で納品する、といったことが行われている。  仕事を受ける側には、自分はクリエイターだという概念はないかもしれない。会社員の副業としてやる場合も多い。腕試しをしながら、得意な技術を生かした副業になるので、十分やる意義がある。だからビジネスとしても成立する。  こういう仕事はかつてはクリエイターの仕事だった。クリエイターが請け負うと、ビジュアルはアドビの「イラストレーター」や「フォトショップ」で「部品」となるものをつくってパワポに貼りつけたり、全部「イラストレーター」で作りこんでPDFにして納品するといったことをやっていたと思う。それで、1枚最低でも1万円。すごいプレゼンに臨む場合は1枚でも数万円以上、ときには10万円以上かけただろう。そういう仕事は、なかなか個人では発注できず、企業、あるいは広告代理店といった、プレゼン勝負の会社からの発注だった。  それが、今では、個人が自分の社内プレゼン、営業マンがお客様向けのプレゼンをする際などにも、自費を払って見知らぬ「価格の安いクリエイター」に気楽に発注できてしまう時代なのだ。価格は安いが、水準は(もちろん玉石混交だが)かならずしも低いとは限らない。コストパフォーマンスは正直高い。  様々なアプリケーションが進化し、プロでなくとも、それなりにセンス良く仕上げられる状況になったのことも、もちろん影響しているだろう。  クリエイターは、そういう人たちと競合しなければいけない局面が出てきた。  安いならやりません、といえばいいかもしれない。だが、それを繰り返すと、仕事そのものが減ってしまう危険もある。だから、下層が増えていく、という現象が起きるのである。  これは、考えさせられる。  一億総クリエイター時代の到来ともいえる。  すべての人は表現者だと、私は思っている。だから、それ自体はよいことかもしれない。  しかし、クリエイターが食べられない状況になるのは、この国にとって良いことかといえば、違うと思う。  優秀なクリエイターが、良い仕事をする機会を失っていけば、プロがいなくなっていく。  クリエイティブには、世の中を変えていくすごい力がある。  その力が衰退してしまえば、国、社会を変えていく力が弱くなるだろう。そして、高いレベルの表現を楽しむ機会が減るということは、文化の衰退にもなるし、さらにいえば、人々の元気の衰退にもなるかもしれない。  いまの時代でも、確実に、より稼げるクリエイターになっていける方法はある。  それは、クライアントに対して、クリエイティブワークが必要になる元の目的を達成するために、必要な情報を提供したり、「こうすれば、こんな未来を実現できると思いますよ」という提案ができる人だとわからせることだ。  人は、「何のためにこれをやるか」がわかっていて、そのために自分を生かすことができ、「やった、その結果がどうだったか」をわかることで、かならず進化していける。そこにプロ意識も育つ。  逆に、これができると、一般ビジネスパーソンでも、デザインとかコピーライティングとか、個別のクリエイティブ技術があってもなくても、クリエイティブワークを統括したり、プロデューサーとして高い報酬を得られる、ということがいえる。  これができれば、もちろん、クリエイティブの水準も上がる。  クリエイターは、プロデューサー要素と、少しのコンサルタント要素を磨くことで、ステージを上がることができる。 それは結果的に、自分固有のクリエイティブ技術を高く売ることにつながる、と私は考える。  これはそんなに難しいことではない。  これまで、1200人以上のビジネスプロデューサー育成にかかわってきたが、このセンスを潜在的に持つクリエイターは、非常に多いというのが、私の実感だ。  一般ビジネスパーソンの中にも、この資質を持ったまま眠らせている人がかなりいる。これも実感だ。  その資質に気づいたとき、ひとは、ものすごい勢いで変わっていく。  提案し、行動する。そして、新しい世界を切りひらいてしまう。  人は何歳になっても、それができる人になると私は思っている。  そういう生の事例を、私はたくさん見てきてしまった。  私はコンサルタントとしてこの30年食べてきたわけだが、かつてクリエイターだった人間が、企業クライアントの対顧客の問題解決、組織内の問題解決をプロデュースして、クリエイティブな技術を生かして、コンサルタントになっていくことができたといえるなと、いまにして思うところがある。  そして、いま、そうした資質を持つ人が、少しの後押しで開花していくことは、本当に面白いし、うれしいし、感動するし、やめられないな、と思うわけである。

不安と危機感のあいだには、大きな違いがある。

不安は、どうしょうもない(笑)。

危機感は、このままではマズイと明確に思っているので、行動を起こせる。

この違いだ。

 

だから、危機感は、生産的だ。

どうすれば、不安を危機感に「昇格」させられるか?

 

その答えは、「仮説」を立てることである。

 

もしXという状態があるなら、こうなるはずだ

と仮説を立てると、「こうなった時」に備えた対策Yを考えることができる。

 

仮説を立てるには、情報と思考が必要だ。

情報が何もないなら、動いて調べたり、人と会って話をしたり、ウェブで検索したり、

そういうことが第一歩となる。

 

もちろん、仮説は正しいとは限らないので、

仮説を立ててからも、動きながら情報を集めたり、

じっさいに小さな行動をして検証してみたり、

そういうことで、より良い仮説にしていけばいい。

仮説自体が間違っていることもありうる。

その場合は大胆に、一旦その仮説を捨ててしまえばいい。

 

「仮説」があると2つの大きな利点がある。

 

一つは、心の準備ができること。

もう一つは、仮の未来であっても、そうなることを意識して

危機を脱出できるような事前の仕込みができること。

 

この2つだ。

 

仮説があれば、人は情報感度を上げられる。

関連情報が入りやすくなる。

初めの仮説が、より良いものに修正されるから

心の準備も、事前の仕込みも、よりリアルで的を射たものになるはずである。

 

じつは、このことが、ビジョンと大きな関連がある。

 

ビジョンとは、「現状から飛躍しているが実現を信じることのできる未来像」

のことである。

通常は、こんな状況を生み出したい、というように

これから実現したい「望ましい未来」をイメージしたものになる。

しかし、このままでは、マズイことになる、というように

「望ましくない未来」をイメージしたものも、ビジョンなのである。

 

つまり、ビジョンには、

「実現を望まれるビジョン」desirable vision と

「実現を望まれないビジョン」undesirable vision

の2つがあるのだ。

 

じつは、ビジョン自体も仮説である。

 

「こんな状況が生まれたら素晴らしい」と、

魅力的な未来像を設定してそれを目指していく、

 

という使い方と、

 

「こんな状況が起きたら大変だがその危惧がある」と、

危機的な未来像を設定して、それを阻止していく、

 

という使い方ができる。

 

いま、日本は、とても不安な状態が広がっているのではないだろうか?

 

国際情勢もしかり。

将来にむけた生活や人生設計もしかり。

仕事、働き方の問題もしかり。

そして、

リーマンショックをはるかに超える規模のバブル崩壊危機の問題もあるらしい。

 

ジャンク債を抱えた大手金融機関が日本にはいくつもあり、

国際的に金融市場を牛耳る外資のグループは、すでに、そのジャンク債を

安い値段で売り抜けてしまおうと動き出したという。

本業で稼ぐのではなく、高値をつけた株を担保に資金を借りて投資に回したあげく

投資先の株価が暴落している状態が起きているということなのだ。

 

こういう時は、不安を危機感に変えて、行動を起こすための仮説が必要だ。

つまり、「実現を望まれないビジョン」の設定が有効だ。

そのために、良い情報をあつめて、良い思考をする必要があるのだが

どうも、よのなか、フェイクニュースが多くなっているようだ。

 

意外に、草の根の、個人が頑張って発信しているYouTubeの情報が

役に立つなと、最近、私は思っている。

そうしたいくつかをチェックして、仮説を立ててみると

徐々に仮説の正しさ度合いが見えてくる。

 

そうして、正しい危機感が浮上してくる。

 

人間は、お金や立場で動かざるを得なくなる存在かもしれない。

いや、そうだろう。

しかし、人間には本来持っている純な良心というものがあると私は思う。

 

そこに根ざして正しい情報を発信しているかどうかをみる目が、

結構問われる時代だな、と、いま私は感じている。

昨日、友人が結婚披露宴をあげた。 出席者たちは、親族以外は、コンサル、コーチ、講師業、社長業の方ばかり・・・。 夫婦ともコーチ業で40代で、とても影響力のあるひとなので、 こうなるのか、と思った。 出席者の特徴をざっくりとまとめてしまえば、 人を明るくする仕事をしている人々、といえるだろう。 そういう人たちが、これだけ、集まっている、 ということは、 それだけ、明るくなるべき人が、今の社会にはいて、 明るくしてくれる人を求めている、 ということになる。 それを実感した場でもあった。 うまくいかない時、壁に当たった時、冴えない時、人は悩む。 腰が重くなって行動が起きにくくなったりもする。 そんなとき、閉塞した状況を切り拓く方法がある。 それは、「問い」を投げること、だ。 たとえば、 危機的な状況なのに、なんか動きたくない、 しかし、動かないとマズイことはわかっている。 でも今までと同じことはやりたくない、とか、 何かが自分の中でブレーキをかけている、 などというとき、 ノートを開いて、白紙の見開きの、左上に、 いったい私は、なぜ、動く気がおきないのだろうか? と書く。 ただ、この「問い」を書けば、行き詰まりを脱却していける。 ノートに「問い」を自分で書いて、それを見ることで、 何が起きるか・・・ まず、「問い」が頭にインプットされる。 そして、 人間は不思議なもので、「問い」があると、答えを探す。 つまり、考えはじめる。 ノートの見開きには、「問い」だけが書かれ、 余白が広がっている。 すると、 その余白に、答えを書きたくなるのだ。 すぐに、答えが出てくることも少なくない。 問いを書いたおかげで、自分の中にある答えがひきだされる ということは、しばしば起きる。 答えが、すぐに出てこないこともある。 そのときは、少し時間をおいて、いったん「問い」を放っておく。 放っておいても、自分の頭の中にインプットされた「問い」は、 いつも答えを求めているので、考えていないと思っていても、 無意識にアタマのどこかで考えている。 だから、「あっ、これだ!」とひらめきもおきるのだ。 こうして、自分が動けない理由がわかってくる。 結局、自分の中から答えが出てくる。 人は誰も、「問い」がないと思考がはじまらず、答えは出てこない。 いつまでも、自分の中に眠っている「答え」に気づけず、 なんとなく動けないまま時間が過ぎてしまう。 これはもったいない。 しかし、誰にでも、そういう状況がうまれてしまう。 だから、行き詰ったときは、自分に「問い」を投げたい。 そして、じつは、 こういう、動けないときほど、良いビジョンをつくるチャンスがある。 ノートを開いて、動けない理由が見えてきたら、 では、結局どうなればいいんだろう? と、つぎの「問い」を投げる。 そして、答えを書いていく。 これで、もう、ビジョンは、すぐに見えてくる。 そして、「目指す状態」をノートに描いていき、 では、そこに行き着くために、何をすればいいんだろうか? と、また「問い」を投げる。 すると、いま、やるべきことが、どんどん見えてくる。 こうやって、 ラグビーのスタンドオフ(スクラムから出てくるボールを 味方にパスする役の選手)が、一球一球、ボールを投げるように、 「問い」を投げればいい。 (いま、日本はワールドカップラグビーの季節なので、 無理やりなメタファーですみません) 自分のことでなくとも、 誰かが、悩んでいるとき、くすぶっているとき、笑顔がないとき、 同じ方法が使える。 相手が五歳の子供だって、つかえる。 だれか、子供をつかまえて、 「きみは、最近何が楽しいと思っているのかな?」 と問いかけてみよう。 その場で、すぐに答えられないかもしれない。それでも大丈夫だ。 その子は、その時から考えはじめる。 そして、1週間後、もう一度、同じ問いを投げてみよう。 すると、 「ダジャレを言って、人を笑わせたとき」 などと答えてくれる。 面白いのは、何が楽しいのか考えているうちに、 楽しいことが、ますます楽しくなっていくということだ。 そして、それが自分にとって大事なことのように思えてくる。 「ダジャレ? それはいいね~」と褒めてあげて、 「ちょっと、やってみようか」 と2~3発、大人のダジャレを、かましてあげよう。 すると、キャキャっと、喜んで笑ったりする。 それからしばらく、周りの人をもっと笑わせてやろうと、 一生懸命、ダジャレを考え続けるようになったりする。 その先に、ビジョンが見えてきたりして、 どんなふうになったら、もっと楽しいかな? などと、一歩先の「問い」を投げても、 いい答えが出てくるようになってしまう。 こうやって、大人も、こどもも、 「問い」を投げることで、 人生を楽しくしていける。   ●今日のフォト 自由が丘の夕焼け空 今年の秋は暑く、真夏の夕焼けのような空がときどき見られた。ということで、事務所の窓からショット。
  南フランスのトゥールーズに住む友人が、こんなことを言っていた。 トゥールーズに住む人は貧しい人が多い。 物乞いしないと生きていない人もたくさんいる。 しかし、街の人たちは、当たり前のように、施しをしている。 お金やモノをあげながら、おたがいに会話もしている。 まるで、昔からの知り合いのように自然に。 人々はみな、すれ違う時にあいさつする。 ちゃんと目と目を合わせて。 ボンジュール、ボンジュール、と。 「この街にいて、ふつうに空気を吸って、 ときどきカフェにいくだけで、 本当に幸せな気持ちになるよ」 そう、彼はいう。 フランスは、「成熟」を重要な価値と考える国だそうだ。 「成熟」は個人個人のテーマでもあり、多くの人が「人間として成熟していくこと」を意識しているのだという。 人間は、成熟した人間になっていくには歳をとる必要がある。 フランスの人たちは、皆そう思っているらしい。 たとえば、フランスの若い女性は、マドモアゼルと呼ばれるが、 それは、実は彼女たちにとって、決してうれしいことではないという。 「マドモアゼル」には、まだ小娘でひよっこだというニュアンスが含まれる。 いっぽう、「マダム」は成熟した人なのだ。 だから、マドモアゼルたちは、早くマダムになりたいと思っているのだという。 「マダム」は、男なら「ムッシュ」になる。 これらの言葉は、日本語に訳すと 「おばさん」「おじさん(または、「おっさん」)」になってしまう。 しかし、ニュアンスはまったく違うようだ。 フランスには長く生きていくことに意味があり、歳をとることに希望がある。 なんか、フランスってかっこいいね、と思った。 そこでアタマに浮かんだことがある。 それは、日本は、田舎にたくさんヒントがある! ということだ。 私の人生のテーマの一つは、 いかに「田舎」を自分の中に取り入れるか いかに日本の「田舎」をおもしろくできるか ということだ。 これは、逆説的に、「都会で働く人たちが、もっと田舎の良さをとりいれて、都会の生活を人間らしいものにする」ことにつながると思う。 さらに、もともと日本が持っている素晴らしいものを再確認して、よき日本を再創造する。 そして、日本の良さを世界に発信し、世界が良い状態になるために貢献する。 こういうことにつながるのではないかと思う。 私は、主として都会に本社のある大手企業をお客様としてコンサルをやってきた。 いっぽうで、田舎にも、ときどき行き、行政からのご依頼で田舎で起業する人のための塾をやったり、田舎の農産物を、都市部の特定の店に新たに流通させて新しいリピートを生みだす試みをしたり、リゾートワークの拠点を温泉地につくるプランニングにかかわるなど、してきた。 都会では、道を行きかう人同士、目を合わせることはあまりない。 しかし、日本も、田舎に行くと、街を歩く人たちは、互いに目を見て挨拶する。 外から来た人も、この人は誰だ、という目でじろじろ見られるし、純真な子供たちは、初対面でも自分から挨拶してくる。 日本の田舎は、貧しくても、どこか住むところはある。 米と野菜は、いざとなればただで分けてもらえる。 大手IT企業の事業所を秋田県の温泉地に誘致することを考えていたことがある。 コスト的にも大きなメリットが想定できた。また、新しいノウハウ開発の面でも、働き方を人間的なものに転換するという面でも、様々なメリットが考えられていた。 都会からやって来る子供のいる親が気になるのは、とうぜん教育のことだ。 役場の首長さんとも会い、教育課にも行きましたが、現場にも行った。 小学校に行って校長先生、教頭先生と、受け入れ態勢についてディスカッションした。 けっこう何とかなりそうだった。 その帰り道、田舎の風景をスナップしていると、小学生たちが近寄ってきた。 「僕、名前は〇〇〇〇です。僕の家はあそこだよ」 そういって自己紹介してくれた。 そして、3人の友達同士が、思い切りはじけたポーズをとって写真を撮られたがってくれた。 飲料メーカーの仕事で、温泉地でのマーケティング方法を開発するため、いくつもの温泉地を回ったことがある。 どこに行っても、田舎の子供たちは、みな、目が、キラキラしている。 東京で、初対面の大人に、自分から近づいて行って声をかける小学生は、まずいないだろう。 これは、人間同士、ある程度は信頼してよいものだという前提があるからできることだと思う。 日本人が持つ、良い意味での「人の好さ」。 これが、日本の田舎には残っている。 こういう日本の田舎を衰退させていいはずはないだろう。 むしろ、もっと田舎の良さを生かして、新しい経済を生みだしたい。 田舎に行くたびに、日本ていいな、と思える。 フランスのトゥールーズも捨てがたい魅力がありそうだが。 日本の田舎にいる子供たちは、人が良くて純粋で、未来に向かってなにかをやろうという エネルギーと好奇心にあふれている。 彼らが、そういうマインドを大事に持ち続けて未来を拓いていく方法がないだろうか? 私は、頭の中で、それを思っている。 子供たちが、田舎に住み続けて、よい仕事もできるようにする方法。 いっぽう、都会で仕事をしていても、日本の田舎の良さを日常に取り入れて 良い生活を味わえるようにする方法。 それがないのか、と。 いま、日本の田舎はどこも、人口が減り続けている。 地場の経済は長期的に右肩下がりといえる。 しかし、そんな中で、うまく商売ができている人たちはいる。 秋田県のある温泉地周辺だけでも、いくつもある。 たとえば、 ●普通なら捨てられてしまうB規格の野菜(形が悪かったり少し傷があるものなど)を扱うマルシェ型の店を共同経営している農家の奥さんたちが運営する「体験交流型直売所」。 地元の人たちからも人気ですが、全国に会員を募り、月々の会費で野菜を定期販売しています。さらに、北海道から高校の修学旅行を誘致し、きりたんぽをみんなで料理したり、農家の民泊をからめて面白い運営をして、安定した収益を得ている。出店する農家が自分の売り場スペースに残る商品が少なくなるとスマホに連絡が自動的に入る、など、販売所ではITも活用。この店に小さなスペースを確保するだけで年間1000万以上売り上げる人もいる。 ●撤退したスーパーの後を改造したオフィスで地元の若者60人を新たに雇い、リクルートの情報誌制作をPCでやる請負体制をつくり、伝送で納品するというビジネスをつくった会社。本社は東京。社長さんは、地元の人ではないが、知人の紹介で訪れたときに、ここで何かできる、という気になったとのことだ。 ●地元特産の山ブドウを活用して、シャッター街にワイナリーをつくり、フランスの一流シェフにも評価され、東京の店にもおかれるようになった元パソコン教室のオーナー。ワインというのはいろいろと苦労があるが、今ではコンクールで賞をとるようになっている。 ●田舎に戻って代々受け継いできたラーメン店を経営しながら、高速道路のサービスエリアで販売する高級レトルト食材を開発し、売上をあげている元OA機器販売会社営業マン。 難しい米粉めんの開発にも挑戦し、様々なパートナーと交流している。 ●自らブランド米を開発し、パッケージデザインに萌えキャラを使って全国に販売している農大出身の米屋さん。雪の降る冬の秋葉原にテントを張ってプロモーション販売したのだが、全く売れず、肩を落としていたが、秋葉原のラジオでコアなファンのいるコスプレ系の歌手兼声優が支持してくれたことで、秋田に帰る途中でスマホに次々と注文が入ってきて一気に逆転ブレークした。いまでは、東京で販売会をすると、その米屋さん目当てでたくさんのファンがやってくる。東京でも多くの店でそのブランド米を使用している。毎年ファンが訪れる秋田での田植えツアーも盛況だ。 ●女性たち数人が集まってスイーツの製造所をつくり、地元特産のリンゴを使ったアップルパイを3000円で全国にネット販売して成功を収めた女性たちのグループ。アップルパイという加工食品は、日持ちするところがポイントだ。 ●田舎が気に入って住むようになった京都出身のシステムエンジニア。夏場はカシスを栽培してジャムをつくり、東京にも売りに来る。冬場はPCを使ってシステム開発の請負をやっています。はじめて冬の大雪を見たとき、あぜんとしてしまったらしいが、マイペースでやりながらなじんできている。 人口の3万人ほどの街でも、こういう人たちがいる。 彼らの特徴は、都会と行ったり来たりしているということだ。 営業活動もある。都会の人たちと情報交換することもある。 そうやって、商売をうまく育てている。 こういうことができるのだ。 これからは、田舎にいて世界を相手に仕事をやることもできるだろう。 都会で働く人たちは、逆に、田舎の良さをもっと日常に取り入れることができると 私は思う。 旅行に行く、だけではなく、何か仕事でつながる、とか、 田舎にいる面白い人とつながる、ということは誰にでも可能だ。 日本は、国として、人口減少期に入っている。 しかし、東京では、今も都心が再開発され、新しいビルが建ち、人口集中し、電車は満員状態だ。 満員電車のなかでパニック障害を発症する人が増えている。 パニック障害が「うつ」を誘発するというデータがある。 毎日、エレベータ難民、弁当難民、トイレ難民が多発しているビルは少なくない。 そろそろ、なにか大きく変えないといけないんじゃないだろうか。 私の友人が、いま、トゥールーズで味わっているような幸せな感覚を、 誰もがあたり前に味わえる社会の実現は、そんなに難しいのだろうか。 私たち一人ひとりが、 自分と周囲にいる人の日々の普通の幸せについて、 肩の力を抜いて、自分と向き合って考えたら、 答えは出てくるのではないだろうか。