OLYMPUS DIGITAL CAMERA

プロデュースのはじめには構想がある。
構想とは、実現までのストーリーである。
実現したいことを描き、実現の方法を考え、実現への手順を組み立てることで、ストーリーはできあがる。
この場合のストーリーは現在から未来へ向かってのストーリーであって、本当に現実になるかどうかはわからない。
つまり、ストーリーは、「こういう流れをつくりたい」とか、「こういうことを起こしたい」とか、「こんなことが起きる可能性もある(そうなればプロデュースはすごい影響力を持つものになる)」というように、願望が込められた未来への仮説である。
プロデュースとは、その仮説を、実際に未来に向かって行動しながら検証していく作業である。
ストーリーの中身が具体的なほど、未来へ向けて行動するイメージが湧いてくる。
自分を含めて、どんな登場人物が現れ、何を求めてどんな行動をし、どんな出来事が起きて、何が実現するのか。何が生まれ、何が変わり、どんな未来になるのか。
その過程で、自分を含めてプロデュースに関わる人は、どんな体験をするのか。どんな感情を抱くのか。プロデュースは社会にとってどんな価値をもたらすのか。

こうしたことを、その場にいる自分が目の前で展開する光景をみているかのように描くことができるほど、プロデュースは実現しやすい。
これは、新しい事業をプロデュースするときも、家族の思い出をつくるイベントをプロデュースするときも、一人の新人歌手をプロデュースするときも、自分のキャリアをプロデュースするときも同じだ。
自分にとって実現したいことが大きい場合ほど、あるいは現状からみればハードルが高い場合ほど、ストーリー性にあふれた構成が必要になる。
なぜ、ストーリー性にあふれた構想が描けると、プロデュースは実現しやすいのか。
その理由は三つある。
一つめは、魅力的な物語は、高いモチベーションをつくりだすから。
二つめは、魅力的な物語は、実現するイメージを強化し、行動の迷いをなくすから。
三つめは、魅力的な物語には、人を説得し、協働作業に巻き込む力があるから。

つまり、魅力的なストーリーは、人をその気にさせ、行動したいという気持ちを湧き起こさせるのである。
これらが、それぞれどういうことか、説明していこう。

ストーリーは、モチベーションをつくりだす

何かが起きて、未来が拓ける。何かを起こすのは自分だ。あるいは、何かを起こすきっかけをつくる役割を自分が担う。そうして、自分のやりたいことが実現し、自分が望ましいと思った状況がつくられる。それが、世のため人のためになる。
こうしたストーリーは人をその気にさせる。
夢が実現する過程をイメージ豊かに描くという思考は、プロデュースを構想する自分にとっても、プロデュースに参加する人々にとっても、モチベーションを創造し、維持していくために非常に重要である。

まだ、まったくどうなるかわからない未来に向かって、一人の人間がエネルギーを燃やして取り組みを継続していくためには、「こんなすごいことを起こしたい」「ワクワクすることを思い切りやってみたい」「途中で苦労してもこれは最後までやり遂げる意味がある」といったマインドを持ち続ける必要がある。
まず、発案者のモチベーションがなければ、プロデュースが成功することはない。
「なんとしてもやりたい」「自分や自分の仲間が持つ魅力的な夢を絶対に実現したい」「これをやることは、自分にとって最高の喜びを感じられることだ」というモチベーションの高まりこそ、プロデュースという不確実な行為をカタチにしていく原動力になる。
未来への魅力的なストーリーを描くことは、そうしたモチベーションを創造し、具体的な行動を起こして新しい何かをカタチにしていくために欠かせない。

ストーリーは、実現へのイメージを強化し迷いをなくす

スポーツ選手は、勝負に勝つために、何度も自分が本番で相手に勝つ場面や、いい演技をして高得点をたたき出す場面をイメージする。会場に入ってから、どういう登場の仕方をし、観客からどんな声援を受け(あるいはブーイングを受け)、自分はどういうパフォーマンスを行い、どういう経緯で勝負がつくのかを細かくイメージしていく。競技が終わり、表彰されるまでをイメージする場合もある。
こういうシミュレーションは、何が起きても、動じずにゴールに向かってひるまずに進んでいくというマインドを強化し、精神的に強い選手をつくるために非常に有効だとされている。
いわゆるイメージトレーニングである。
これは、スポーツ競技だけではなく、プレゼンテーションの場面でも非常に有効だ。
イメージトレーニングの効果は、さまざまなケースについて何パターンもシミュレーションし、何があっても動じない心をつくっておく、という効果だけではない。
理想のゴールに至る経緯が、非常にワクワクドキドキするものなのである。そして、そういう経過をイメージするためには、どうしてもストーリーが必要なのである。
逆に言うと、実現までのストーリーを何度も何度も自分で描くと、実際にはじまってから自分はどういう心理状況になるかが、あたりまえに疑似体験ができるようになる。
嬉しいか悲しいか、苦労が多く重たい心理状況なのか、そこから粘り強く逆転していく過程でどれだけワクワクすることが起きるか、といったことが実際に体験したように感じられるようになる、といっていい。
すると、多少現実から飛躍があっても、そうなることが特別のことではないと思えるようになる。また、何度もイメージしていくうちに、本当に無茶なストーリーは、しっくりこないので捨てられていき、飛躍がありながらも、これならやってみたいと思える自分らしいストーリーになっていく。
だから、実現しやすくなるのである。

ストーリーは、人を説得し巻き込む力がある

人は誰も、「いつ、どこで、誰が、どうして、どうなった。それはいったい、なぜなのか」という物語が好きである。
何かをやりたい、何かを仕掛けたいという自分の思いは、はじめは個人的なものであっても、第三者のやりたいことや、多くの人が実現してほしいと思っていることと重なると、一人のものではなくなってしまう。
実現までのストーリーを聞いているうちに、自分がそのストーリーの登場人物として何らかの役割を持って参加するイメージを持ちはじめてしまうということがある。
それは、相手の夢が自分の夢と重なっているときである。
また、仮に自分が重要な役者としてストーリーに参加しなくとも、応援したくなることもある。
ストーリーは、人を惹きつける力がある。また、「何のためにそれをやるのか」という理由が魅力的だったり、実現したいことが自分にとっても嬉しいこと、魅力を感じることであれば、自分が労力を提供して直接手伝うことができない場合でも、実現してほしいから、何かできることはしたいという気持ちになるものだ。
魅力的なストーリーは、人にそういうイメージを湧かせる力がある。
だからプロデュースには、魅力的なストーリーがぜひとも必要なのである。

新しい何かを創りだす(「何か」はモノではなく状態でもいい)ことを幅広くプロデュースととらえる考え方は、いまや、さまざまな業界や職種に広がっている。

プロデュースは、問題解決の観点から、非常に重要な意味を持っている。
問題解決の考え方として、もっとも基本的でポピュラーなものは、「発生した問題には、必ず原因があり、その原因を突き止めて合理的対策を講じれば、必ず解決できる」というものだ。
これは、「合理的問題解決」と呼ばれる考え方で、ビジネスの一線では、この考え方が広く普及している。
解決方法を論理的に説明しやすく、会議の場で多くの人の合意をとるときにもスムーズにできる考え方である。
しかし、この方法では解決がつかない問題がある。
原因を突き止めても、合理的対策がとれない問題、あるいは原因自体がわからない問題もある。
じつは、プロデュースは何かを創りだすだけではない。こうした問題を解決することができるのだ。

例えば、次のような場合はどうだろうか。
(問題A)生産拠点が中国に移り、工場が撤退した街は沈滞化している
(問題B)発泡酒やその他雑酒(第3のビール)の浸透でビールの売上がダウンしている
(問題C)C社で入社三年めまでの若手社員の35%以上が退職している
(問題D)長年確執を抱えてきた二つの集団が抗争を繰り返している
(問題E)日本の少子化が進んでいる
(問題F)私はXさんに嫌われている
これらの問題は、いずれも原因はある程度解明できるだろう。関連する情報を徹底的に集め、それを分析し、問題の構想を明らかにすることもできる。
しかし、原因が究明され問題の構造が整理されても、それだけでは絶対に解決できない。
原因をつぶすという発想で解決が進まないからである。
Aの場合、中国に移った工場をふたたび街に戻すためには、生活できないような安い人件費に押さえなくてはならないかもしれない。
Bの場合、ビールの売上をあげるために発泡酒の生産を抑制すればいいかもしれないが、会社全体の立場に立てば、トータルな売上・利益を失う可能性が高い。
Cの場合は、35%という退職率を減らすことは可能だが、世の中のトレンドを考えながら、どこまで若手社員に快適な状況をつくるべきか、組織全体をどう変えていくべきか、今のC社の能力のなかで、業務に支障が出ない範囲でどこまで対応可能なのか、といったことを考えなくてはならない。つまり、すぐに解決すべきで、しかも解決可能な部分と、企業のビジョンや戦略があってはじめて問題意識と解決策が出てくるという部分がある。
Dの場合、歴史的な経緯が背景にあり、融和をもたらすためには、きっかけとなったことを総括しなくてはいけないだろう。しかし、それを双方が認めない(認めたくない)場合もある。
第三者の仲介で両者の間にある障壁のいくつかは取り払われても、人間同士の確執が双方の心のなかから相当減らない限り、新しい抗争が生まれてしまう可能性は常にある。
Eの場合、原因をつぶせば少子化は解消されるはずである。しかし、その原因はすぐにはつぶせないものばかりである。たとえば、結婚せずに子供を産むことは望ましくないという価値観が強い日本のカルチャーを変えるには時間も労力も相当にかかるだろう。ビジネス社会には、できる社員には男女を問わず、できるだけ休まず多くの時間を会社のために使ってもらわないと勝ち残れないという現実が、まだまだあるといわざるをえない。都会の住宅は狭いという現実。子供がいない人生のほうが、好きなことをやれ、気楽で豊かだと多くの人が考えるようになっている現実。これらを変えるためには、社会の価値観と制度、生活スタイルを大きく変えるような大がかりな施策が必要だ。
Fの場合は、嫌われている理由が解明できるかどうかもわからない。Xさんが、私を嫌いな理由を認識していて、きちんとわかるように話してくれるかどうかはわからないのである。仮に、理由がわかっても、それが私の生まれついた性格や身体的特徴や、これまでのキャリアや家柄に起因するものなら、「原因」をつぶすことは難しい。あるいは、Xさんの側に、昔ひどいいじめを受けた相手に私が似ているという事情があったとしても、その事実は消しようがない。

これらの問題は、いずれも原因をつぶすという発想では解決できない。
何か、まったく新しいアイディアが必要なのである。
アイディアを実行することによって、結果的に問題が解決されるという考え方に立って進めないといけないのである。
そのアイディアは、集団のディスカッションによって出てくる場合もある。
しかし、たった一人の自由な発想から生まれることも多い。
そして、たった一人の発想から出てきたアイディアが、もっともいい解決をもたらす場合もありうる。
だが、合議によって意思決定される場合、個人のユニークさから発想されたアイディアは採用されにくい。
企業では、なぜそのアイディアが正しいかを証明し、多数が納得することが合意形成のルールになっていることが多いが、「合理的な問題解決」の考え方では解決できない問題を解決する大胆なアイディアには、なぜそのアイディアが有効なのかを合理的には説明しきれない要素が、どうしても残る。
おもしろいし、悪いアイディアではないと周囲が思っても、実際にやってみないとわからない要素がつきまとえば、ルール(暗黙の慣習、文化も含む)上、ゴーのサインが出せないのである。
したがって、そういうアイディアを実現させるためには、強力なリーダーが、責任を持ってアイディアを採用して実行を推進する体制があるか、自分自身がそういうリーダーになるか、あるいは、覚悟を決めてやってしまうしかない、ということになる。
プロデュースの決定には、多人数による合議が向いているとはいえないのである。
また、工場で不良品が増えるとか、サービスに対するクレームが多発して競合にシェアを奪われるといった問題と違い、これらの問題には、問題自体にあいまいな要素が含まれている。
見方、考え方によっては、「それは問題ではないんじゃないか」というとらえ方もできる。「しかたがないじゃないか」「それでもよくやっているじゃないか」「そういう時代なんだ」「このトレンドのなかで最善の方法をとることが大事だろう」などということで納得し、このまま現状を受け入れていくよりしかたがないという考え方も成り立たないとはいえないのである。
しかしいっぽう、「それではだめだ」「いやだ」「こうしたい」「そうすべきなのだ」と考え、だから「そこには大きな問題がある」ととらえることも、もちろんできる。
したがって、こういう問題に対処する際はまず、問題を提起しなくてはいけない。
何が問題なのか。それは、なぜ問題なのか。なぜ、このままではいけないのか。
どういう状況を目指したいのか。それはなぜなのか。
こうしたことを示さなくてはいけない。
そして、まず「やってみよう」と考えるかどうか。「一度きりの人生、ずっとやってみたかったことをいまこそやってみよ」といってくれる強いリーダーがいるかどうか。どんなことをしてでも自分自身でやり遂げてしまうパワーを持った人物がいるかどうか。彼、あるいは彼女に賛同して集まり、支援してともに闘ってくれる人々が現れるかどうか。アイディアを実現できる環境を創造していけるかどうか。
そうしたことが、これらの問題を解決する鍵になる。
これは、まさにプロデュースなのである。

エンプロイアビリティの重要性が多くの人々に認識されてくると、働く側が企業を見る目は大きく変化していく。
そこで働くことでエンプロイアビリティが高まる企業かどうかということが、非常に大切な視点になる。
自分のやりたい仕事ができて、しかも、ひとつの企業の枠を超えて将来がひらけるかどうか。
具体的には、企業に、つぎの4点に十分応えてくれるフィールドがあるかどうかということである。

・他社でも十分通用するだけの専門能力を磨くことができるか。
・質の高い最先端の情報が得られるか。
・将来役に立つ人脈が得られるか。
・プロとしてのマインドが磨かれるか。

ながく勤められることはいいことだが、かりに、短期間しかその企業に在籍しなかったとしても、自分の能力を十分にいかして成果をあげることができるかどうか、成果に見合った処遇が保証されるかどうかも、その企業で働くことを選択する重要な条件になる。人材流動化が進めば、中途入社者がハンディなく働けるかどうかも問われる。
企業にとっては、自立したプロフェッショナルとしてやっていく実力のあるビジネスパーソンを、どれだけ引きつけ、長期的に気持ちよく成果をあげてもらうことができるかどうかが、最重要課題になる。
魅力的なフィールドをエンプロイアビリティの高い人材に提供できない企業は優れた人材を市場に放出せざるをえず、また、放出した人材以上の人材を新たに採用することもできず、競争のなかで勝ち残ることはできない。
つまり、ビジネスパーソンのエンプロイアビリティが問われていくほどに、企業はエンプロイメンタビリティ(employmentability ビジネスパーソンに働く場として選ばれる能力)が問われていくのである。
報酬・ポジションなど、納得できる処遇が得られる組織かどうかは、エンプロイメンタビリティの重要なポイントだ。だが、それだけではない。
仕事の面白さ。キャリア創造へのサポート態勢。オフィスの快適さを含めた職場の充実感。切磋琢磨できる仲間の存在。トップの人格。ビジョンや経営理念。通勤の快適さ。時間的なゆとり。新しいものへの許容度。社会的なイメージ。社会貢献の姿勢。人間性。かっこよさ。
こうしたもの全てが、エンプロイメンタビリティの要素になる。
そして、そこで働く社員のエンプロイアビリティが高まる組織化どうかは、もはや、エンプロイメンタビリティの重要な要素になっている。
社会心理学者のエドガー・シャインは、雇う側の組織と雇われる側の個人の間には心理的契約が成立しているとした。
組織も個人も、それぞれ相手にたいして期待をもっている。組織は個人にたいして「組織のイメージを高め、ロイヤリティーをもち、秘密を保守しながら、組織のために最善を尽くしてくれる」ものと期待し、個人は組織にたいして「人間として尊重され、仕事と成長の機会があり、欲求を満たしてくれ、自分のやった仕事の善し悪しを正当に評価してフィードバックしてくれる」ものと期待するというのである。
組織は、これからも個人のそうした心理的契約関係によって成り立っていくだろう。しかし、その時間軸の長さは相当に短くなっていかざるをえない。すくなくとも、定年までの長いスパンで判断すればいいという感覚はナンセンスになる。
ビジネスパーソン一人ひとりの生活基盤やモチベーションの源泉は、急速に多様化していく。それにあわせて働く場と条件のオプションを準備することが、企業のエンプロイメンタビリティを高めることは間違いないだろう。
そして、これからのビジネスパーソンは、自分のエンプロイアビリティを磨くことのできる組織で、一生懸命仕事をしてキャリア創造しながら、組織に成果を提供しようと考えるだろう。

仮説とは、100パーセントの論理的な裏づけがない不確かな事柄にたいして、核心に迫っていくために、推論して設定した「仮の真実」である。
仮説は、見えないものを見えるようにする道具となる。
「こう考えてみたら、辻褄があい、全体像が整理されるのではないか」
「こういう未来を描けば、やる気が湧き、思い切り仕事ができるのではないか」というように推論を展開しながら、それに基づいた調査をしたり、実際に行動を起こして様々なことを確認し、仮説を検証しながら、見えなかった事柄を見えるようにしていくのである。

目指す状況を描いたビジョンは、未来に関する仮説だと言うことができる。仮説の設定と検証には、謎解きの要素がふんだんに含まれている。
だから、仮説を立てて、それをどうやって検証してやろうかと考えて行動するのは、探偵小説の主人公になるようなもので、非常に面白い作業である。仮説を設定するためには、自分がもっている情報が重要になる。
情報にはさまざまある。
人から聴いた情報。新聞、雑誌、TV、インターネットなど、メディアから得た情報。自分自身が出会いや体験のなかで感じ、つかみ取った情報・・・。そういう情報を、どのように整理して仮説にするかは、自分の問題意識しだいである。
キャリア仮説は、自分の歴史をベースに、「なぜ、いまの自分があるのか」、「自分は何がやりたいのか」、「未来の自分はどうなっているのか」といったことについて推論し、それに自分が納得し、第三者も納得できる論理性を持たせたものだ。

アメリカの社会心理学者E・H・シャインは、「人がキャリアを形成する際の根源になるもの」として「キャリア・アンカー」と言う概念を提唱した。
アンカーとは船を停泊させるときにおろしておく「碇」のことだ。
シャインは、キャリア・アンカーを「個人が生涯追求していく自分の才能と動機と価値の型」だと定義した。
これを別の言葉で言えば、キャリア・アンカーは、「自分に何ができるのか」、「変わることのない自分の基本的な志向は何か」、「自分にとって価値のあることは何か」という、自分のコアにあるものである。
これらには、いずれも、「なぜ、自分にそれができると言えるのか」、「なぜ、その志向は変わることがないのか」、「なぜ、それは自分にとって価値のあることなのか」という理由がある。
実際は、理由が頭のなかに浮かぶより早く、直感的に確信を持てるような場合もある。それはそれで良い。
しかし、エンプロイアビリティの観点からいえば、その理由を自分自身でも納得したうえで、キャリア・アンカーについて語れることがとても重要なのである。
なぜなら、相手に伝わらないかぎり、相手は、この人に仕事をたのもう(この人を雇おう)という判断ができないからだ。

いっぽう、「キャリア・ビジョン」は、「将来、自分の仕事と人生をこんなものにしていきたい」というキャリアの未来像である。
未来に関する仮説は、どうせわからない先のことだから何でもありだと突き放して考えると設定できない。
「変数が多すぎて解けない方程式」になってしまうのである。
未来へのヒントは、過去にある。自分の歩んできた歴史や、それを背景にして存在している自分のなかにヒントを探すことができないなら、有効な未来への仮説を立てることは難しい。
キャリア・ビジョンは、キャリア・アンカーと深く関係している。キャリア・アンカーをうまく整理できていればいるほど、キャリア・ビジョンは描きやすい。
もちろん、過去だけで情報が十分だとは言えない。
自分が仕事をしていく社会や業界のトレンド、あるいは具体的な所属する企業組織や、これからお付き合いしていく人たちとの関係から得られる情報も、キャリア・ビジョンを描くうえで重要な要素となる。
しかし、いかに新しい情報を取り入れたとしても、根っこの部分を自分の歴史のなかに見つけることができれば、人が自信をもって未来へ進んでいくことができることは間違いない。

キャリアの転機は、誰にでもやってくる。
入学、卒業、就職、転職、独立・・・。
昇進、昇格もある。転勤もある。職種転換もある。突然の組織統廃合による人員削減もある。早期退職もある。
自分が積極的に現状を変えたいと感じたり、何かをはじめたいと思ったとき、新しいオファーがあって決断を迫られるときも、キャリアの転機である。
それらは、みな自分自身について考え直す機会になる。
社内プロジェクトも、キャリアの転機だ。自分が発案しプレゼンテーションして予算がついたプロジェクトが成功すれば、それは最高の実績になる。逆に、失敗すれば責任をとる必要が生じる。自分にたいする評価は下がるかもしれない。それでもなお、失敗したことが立派なキャリアとして認められることもある。
成功、失敗にかかわらず、プロジェクトは最高のフィールドワーク機会であり、エンプロイアビリティを高めることに役立つ貴重な体験になる。
新しいクライアントへのアプローチも、キャリアの転機になりうる。
会社の看板があったにせよ、担当する人物個人の人間的魅力を評価して発注を決めるクライアントはかなりいる。新しいクライアントとの出会いがきっかけとなって、仕事そのものが大きく変わっていくこともある。
クライアントのニーズに対応して新しい仕事を創造する必要が生じることはよくあることだ。
また、クライアントから、「うちに来ないか」と言われることもありうる。
キャリアの転機には、かならず自分のエンプロイアビリティが問われる。
そして、エンプロイアビリティが問われるときにはプレゼンテーションの必要が生じ、プレゼンテーションが必要なときは、自分がやりたいものは何で、そう思う理由は何かということを表現すべき場面がでてくる。
キャリアの転機に、自分のエンプロイアビリティを確認し、強化するためにおこなうコンセプトワークは、自分の原点を確認し、自分が目指す未来を描き、目指す未来を実現するための行動計画を立てる作業である。
言い換えれば、キャリア・アンカーを確認し、キャリア・ビジョンを設定して、それを実現するための戦略を立てる作業といってもいい。
自分は何をやってきたか。何ができるのか。何をやりたいのか。それは何故なのか。将来をどのようなものにしていきたいのか。
これらの問いに答えることでもある。
コンセプトワークは、5つの段階的な作業と考えるとわかりやすい。

  1. 自分の歴史を整理する
  2. 自分が追求すべきテーマを導き出す
  3. ビジョンを設定する
  4. ビジョンを実現するための行動計画を立てる
  5. WHY(なぜそのビジョンなのか)を整理する

この5段階のコンセプトワークは、就職、転職、独立、新しいクライアント獲得、社内プロジェクトの予算獲得などエンプロイアビリティを発揮する場面で、かならず役に立つ。自分自身について、そして、自分のやりたいことについてプレゼンテーションする際に、そのロジックが、ぐっと説得力のあるものになるからである。