飲食店に入ると、どんな店でも、その店の空気を否応なく感じる。
席に座ってメニューを見て、店員さんが注文をとりに来る頃には、その店には何席あって、一日の営業時間内に客は何回転し、客単価はいくらで、どのくらい回転し、売上がいくらかというくらいは、仮説ができる。ほかにも、店員さんたちが元気があるか、好感度はどれくらいか、この店は働きやすいか、厨房で働く調理の皆さんとホールで働くひとの関係はどうかも、結構短時間で分かってくる。
結局、この店は、これでいいのか、だめなのか。
頭の片隅でそんなことを考えてしまう。

いつからこうなったのか?

学生時代に、飲食でバイトしていたとき、自分は水商売をやって生きていけるかどうかを真剣に考えた。無銭飲食の客を追いかけたり、プライドをへし折られるようなことがあったり、いろいろなことがあった。だが、酔っぱらって絡んでくるお客さんを、いやがらずに、意外にうまくあしらえた。酔うと人はかわいくなる。その人、その人をリスペクトしてあげると、客同士のトラブルも大体収まった。華やかだがきれいとは言えない世界。だが、意外に自分はこの商売に向いているんじゃないか。違う仕事をやりたいが、いざとなったら・・・そう思えた瞬間があった。
その時からかもしれない。

飲食店を相手にしている飲料メーカーのコンサルをやるときや、飲食店、外食企業の経営者と話をするときに、この感覚は役立った。
結局、自分は飲食業をやらずに今まで来たが、この商売が嫌いではないのだと思う。

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夜10時。遅い時間だが、その店はにぎわっていた。車で行きやすく、唐揚げがおいしい店である。値段もボリュームも味も満足度が高い。深夜の時間帯に、駐車場に11台停まっている。

店に入った瞬間、何かがおかしかった。
入ってきた客を誰も迎えない。重い、やる気のない空気。これはなんだ?
自動ドアが開いているのに、正面のレジ前にいる店員Aは何かをしていて下を向いている。私が奥のほうに5歩ほど進んでから私に気づき、「カウンターの端から座ってください」と声を飛ばしてきた。
振り向くと、もう下を向いて何かをやっている。今のAにとって、私がカウンターの端に座るかどうかはどちらでもいいようだ。
ホールのスタッフは四人、奥にいる店員たちも、だれも私のほうを見ていない。私の後にも客は入ってきたが、精一杯客に向き合ってるいつもの感じはまったくない。
何かどんよりしている。こんな店ではなかったはずだ。

出てきたから揚げはいつもどおりだった。だが、店員たちがアウェーなオーラを出しているせいか、せっかくの料理の味が、いつもより曇って感じられる。料理とはそういうものだろう。

食べ終わるころ、レジのわきで、店員Aが電話をかけていた。入口の正面にいて、下を向いて何かをやっていた店員だ。この時間帯のスタッフの中でその店員が一番格上のようだ。

「精算機に五千円札が詰まっていたんです。それで、今5千円札が何枚で、1万円札が何枚で、千円札が何枚で・・・」

カウンターの一番端に座ったおかげで、レジのそばでの電話の内容が聞こえてしまう。
数時間前に、精算をめぐって客とトラブルがあったようだ。
電話の相手は本部の人間のようだった。重たい空気の理由は、これだったようだ。ついでに、店のその日の売上も、大体わかった。立派な売上だった。

電話が終わり、店員Aは奥に進みながら、「濡れ衣だったんだよ~」とホールの店員たちに言って回っている。だが、「良かったですね」と誰もいわない。一体感が崩れている感じだった。
店員Aは、一人、つらい数時間を過ごしていたようだ。
心が壊れかけるような状態だったのかもしれない。
こんなときでも、それはそれ、接客は接客、内部同士のコミュニケーションも円滑に、と切り分けながら問題解決をしていけるなら、間違いなく有能な店員だといえるだろう。しかし、無能でいいわけではない。
奥の調理場では、三人の調理担当たちが、「5名様来店でーす」というホールの声に反応しながら、淡々と料理を作っていた。これがあるおかげで、店はかろうじて営業できている。

その日は美味しい唐揚げを食べて帰りたいという思いだけで、その店に来たのだが、目の前に謎を出されると解きたくなってしまうのが人間というものだ。

自動精算機。
重たい空気の原因はこれだろう。しかし、夜の部のスタッフたちの冴えない接客姿勢は、精算機トラブルの影響によるものだけだろうか。

客と会話するとき客に向き合わない。私が店にいる間、会計はAとは別の店員Bが担当していた。会計の後に、「ありがとうございます」の一言がない。精算機に紙幣を投入し釣りが出てくると、客がレシートを受け取る前に、去ってしまう。それでいて、悪気を感じるわけではない。だから、残念だといえる。
解くべき謎はまだある。

多くのコンビニでも導入が進んでいる自動精算機は、このご時世にあって、とても重要なものになっている。
しかし、この機械のおかげで、店員は、客が精算口に、紙幣なり、硬貨なりを入れたのを確認したら、あとは、精算機に任せてその場を立ち去ってもいいという気になりやすいかもしれない。客は、操作がうまくいっている限り、会計スタッフではなく自動精算機と向き合うことになる。客にとって、会計する自分の存在は軽くなってしまうと店員が感じてもおかしくはない。気持ちが沈んでいたり、急いでいたり、ほかのことに気を取られていたりすると「ありがとうございました」の一言の意味が飛んでしまうのかもしれない。客が会計の最後に「ごちそうさま」と声を発しているにもかかわらず。
そして、紙幣が詰まってトラブルになることも現にあるというわけだ。

精算機があるおかげで、「お互いの存在を認め合うことを喜びあえる」という人間本来の自然な感覚を生かした接客という大事なことがこれほど質低下してしまうことが起きるのか。

それを思ったのは、初めてだった。

このチェーン店は、これからどうすればいいのか?
こういう店で働く人たちは、自動精算機とどう向き合うべきなのか?
人手不足の時代、我々一人ひとり、客としてだけではなく、自動精算機のある店で働くことはありうる。その時どうするかも含めて、新しい時代のテーマなのかもしれない。

自動精算機が、問題の本質なのか?
これ自体もまだわからない。

謎が残った。

すぐに解けない謎かもしれない。
そういうとき、私は、解決保留のまま、頭の中においておくことにしている。
新しい情報が一気に謎を解いてくれるかもしれない。
アイディアが下りてくるときもある。出会いが解決をもたらしてくれるかもしれない。
人間の頭は、何も考えていない時間も、意識の外で考えている。

そして、いつか謎が解けるときはくるのだ。