プロジェクトを自ら設計して立ち上げることは、フィールドワークをするひとつの方法である。
そのプロジェクトが、魅力的なビジョンの実現に至るプロセスに設定された明確な目標を達成するためのものであれば、最高のフィールドワークができる。
もっとシンプルな言い方をすれば、「ビジョンを実現するために設計するプロジェクトは最高のフィールドワークになる。ビジョンは魅力的なほどいい。途中途中に定める目標は明確なほどいい」ということだ。
プロジェクトは、協力者を得てチームワークによって共通の目標に向かう活動である。推進エネルギーは、当然ひとりでやるより大きなものになる。
プロジェクトは、新事業の立ち上げや全社の情報システム改革といった大きなものから、「XX部門の営業売上を全社でトップにする」「難攻不落のクライアントZ社から受注をあげる」、あるいは「業務効率を上げ楽しく仕事をするために自宅のパソコンで仕事をすることを許可してもらう」というものまで、さまざまな規模のものがありうる。
また、組織内のオフィシャルなものにはならないにしても、「キャリア・コンサルタントとともに自分の棚卸しからキャリアビジョンの設定、転職すべきかどうかもふくめてその後の方針づくりをする」という活動や、「コーチをつけ、6ヶ月間でダイエットしファッションセンスを磨いて「見栄え」の点でプロっぽく見られるように自己変革する」という活動もプロジェクトととらえていい。
プロジェクトには魅力的なビジョンと明確な目標が必要である。
魅力的なビジョンは、第三者のエネルギーを集める吸引力になる。
ビジョンは具体的なゴールのイメージを提供する。しかし、どういうプロセスを経てゴールに至るかなど細部は曖昧だ。したがって、ビジョンに共感する人たちは、それぞれ「自分なりの参加する意味」をもって集まることができる。それが推進エネルギーになる。
いっぽうビジョンに至る過程に具体的な目標を設定できると、プロジェクトに参加する人たちは自分が何をすればいいかをはっきりと理解できる。
目標が明確なら、プロジェクトの発案者自身のスタンスがぶれることもない。目の前の方針転換や行動変化が必要になった場合も「この目標を実現するためにはこちらの方法がベターだから」という基準でスムーズに判断できるし、メンバーが納得できる説明もしやすい。
プロジェクトで重要なのは、共感の創造である。
プロジェクトのメンバーとして参加する人たちの、チームとしてのシナジーをつくりだすためにも、また、プロジェクトが影響力を広げて成果を生みだしていくためにも、共感創造は鍵になる。
自分自身のキャリア創造やファッションセンスを磨くプロジェクトでも、コーチ役のサポーターがどれだけ、その人のビジョン、目標、意欲に共感できるかどうかで、成果のレベルは大きく変わってくる。
ビジョンと目標にむかって、情熱をもって参画してくれる人がいなければプロジェクトは成果をあげられない。だからこそ、プロジェクト活動というフィールドワークは周囲に価値を提供し、同時に周囲に自分の価値を認めてもらい、自分の存在を受け入れてもらうことにつながる。プロジェクトで成果をあげれば、その体験はかならず自信という財産になる。
プロジェクトには、エンプロイアビリティが高まる要素があふれているのである。

プロデュースは、自分の感情や直感、ひらめきを積極的に肯定して構想を進めていくものである。
自分を肯定し、自分がやりたいことを追求する。自分を生かしてできること、自分が納得できること、自分が楽しいと思い、喜びを感じられることをイメージする。それを自分だけでなく周囲にとっての価値に転換する方法を考える。
このことが重要なのである。
ロジカルに考えるのは望ましいし、人を説得するために役立つ参考データが豊富にあるのも、もちろん望ましい。
だが、それが思考のはじめにある必要はない。
自分を肯定し、感情や直感もプロデュースを進めるための思考の重要な一部と考え、まずは「自分本位に」構想を進めるというプロセスは、一見、独善的にみえるかもしれない。だが、それはプロデュースにとっては非常に重要なプロセスなのである。
プロデュースには、人を説得する際、なぜそれが有効なのか、必要なのかという点で論理的に説明しきれない点が残るものだ。
プロデュースは、何かをやりたい人間の情熱、気持ちの強さが、重要な説得材料となる。ビジョンの魅力や実現性、信用度もそこから生まれる。
もともと、本人の高いモチベーションがなければ構想自体が生まれない。
「自分の思いに従って自分ができるプロデュースをやり、自分の所属する会社やお客さまや社会に役立つように着地させていけばいい。だから、まずは一歩を踏み出そう」と考えるのが、プロデュース思考である。
自分の「個人的なこだわり」や「偏った部分」、精神的なトラウマが背景にあるような「屈折した部分」さえ、否定する必要はない。
自分を生かし、自分がエネルギーを燃やしてやりたいことを実現する方法を、自由に考えていけばいい。
だが、最後まで自分本位では、自分のやりたいことは実現しない。
他者の力を借りなくては、プロデュースは進まないのである。
誰の力を借りるのかを考え、プロジェクトへの参加、資金協力、情報提供など、協力の形態にあわせて相手を説得する方法を考えなくてはいけない。
また、プロデュースに参加する協力者一人ひとりの能力を尊重し、生かしきる方法を考えなくてはいけない。
プロデュースに最適な環境、道具だてを考えることも重要だ。
どんな場所を拠点にし、集まる部屋のつくりをどうすればやる気が出るか、どんなツールを使うと快適か、といったことである。
なぜなら、プロデュースに参加する人は、やはり、自分がそこに参加する意味、協力する意味を感じ、おもしろいと思い、何かの役に立つと思い、自分を最大限に生かせると思えるからこそ、エネルギーを注力し、すごい力を発揮するからだ。
チーム全体のモチベーションをつくりだすには、プロデュースに参加する人たちがどういう感情を持つかということに想像力を働かせることが非常に重要なのである。

ビジョンとは「現実から飛躍しているが、実現を信じることのできる未来像」のことである。
そして、プロデュースとは「一つのビジョンをもとに、人々の力を借りて「新しい何か」を創りだし、現状を変えること」である。

もっとも自分らしい仕事を自分の手で生みだし、その仕事によって、自分と関係する人々、あるいは広く社会に対して価値あるものを提供する。
そして、同時に、自分自身の人生、キャリアを切り拓いていく。
こうした生き方を実現することは、周辺世界と響きあいながらプロフェッショナルになろうと志向する人々にとって最大のテーマであり、夢である。
専門性を磨いて、自立し、刺激に満ちた時間のなかで自分のやりたいことを追求し、それを社会のためにも役立てていくということは素晴らしい生き方だろう。
それが自分の社会的評価につながり、さらに生きる糧を得る手段となるなら言うことはない。

プロデュースには、「個人のやりたいことは、別の人のやりたいことと重なったとき、大きな力を得て実現に向かって前進する」という法則がある。
プロデュースは、共感者、支援者、そしてともに行動してくれる仲間が登場して、小規模でも強力で心強い行動態勢ができるかどうかが実現への鍵になる。
やりたいことを実現するために、自分一人で発想をふくらませたり、悩んだり、情報を集めていろいろなことを確かめたりするというプロセスは必要である。
だが、どこかの段階で、やりたいことへの共感者が現れ、一つのビジョンを掲げて活動するチームができたとき、プロデュースは実現に向けて大きく動き出す。
どうやってやりたいことを実現するチームをつくるか。
それが、プロデュースをカタチにするための行動の鍵だ。
プロデュースというと、さまざまな能力を持った人間たちを動かして世間をあっといわせるような何かをすることだというイメージを持つ人も少なくないだろう。
夢を実現させるため、変革を起こすためには行動を起こさなくてはいけない。
しかし、いきなり、周囲をあっと驚かせる行動に出たり、すごい宣言をしなくてはいけないわけではない。
動いてほしい人たちを動かすためには、それなりの「仕込み」が必要だ。
自分自身のやる気が高まっていくプロセスをしっかりつくることも必要である。
実現したいというモチベーションが高まり、自信を持ってプレゼンできるだけのバックグラウンドが自分のなかにできていなくては、人を説得する迫力が出ない。仲間になってほしい人、支援してほしい人を巻き込めるロジックもほしい。

プロデュースには、周囲から明らかに行動をはじめているとみえる前にしておかなくてはならない、目立たないが重要な行動がある。
それが、プロデューサーの「小さな行動」だ。
「小さな行動」とは、自分自身の判断で実施できる広い意味でのリサーチ活動である。
リサーチといっても調査・情報収集だけではない。実験・シミュレーション、広報、根回し、人脈づくり、支援者探し、チームメンバー候補探し、ビジョン・戦略づくりなどを含む。
探りを入れたり、新しくわかった情報をもとに考え直したり、説得したい人にアプローチするためのツールをつくったり、プロデュースを大きく実現に向けて進めていく動きを起こす前の仕込み(準備)は、すべて「小さな行動」である。

いくら理解できていても、頭の中で考えているだけではいつまで経ってもビジョンは実現しないし、プロデュースにもつながらない。
最初の一歩を踏み出すのは勇気がいることだが、「小さな行動」を積み重ねていくと、気づけば違う景色が見えているのである。
行動することが、自分の未来を素晴らしいものに変える唯一の方法なのである。

自分のやるべきテーマを明確にしていくことは、エンプロイアビリティの第一歩である。
テーマが明確になれば、そこに資源とエネルギーを集中できる。情報も集まりやすくなる。実践の場も増える。
必然的に実績につながり、専門能力も高まる。
コンセプトワークも、フィールドワークも、ネットワークも、テーマが明確なほど効率よくできる。

テーマの設定はエンプロイアビリティの創造に大きく影響を及ぼすのである。

最近、「ジョブ型」の人事制度を取り入れる企業が増えている。「職務」を明確に規定して、その職務を遂行できる能力のある人をその職務につける、ということをわかりやすく実施しようということだ。グローバルなビジネスを展開している企業では、同一職務を各国共通の採用基準、評価基準で実施しやすいメリットがある。

職務に見合ったスキルをもっているか? 足りない部分があるなら、どう埋めていくか?
また、仮に職務自体が新しく生まれたものなら、その職務に就く人はみな新しいスキルを身につけなくてはいけない場合も出てくる。そしてそのケースは非常に多くなっているといえるだろう。たとえば、「DX(デジタルトランスフォーメーション)」を掲げてビジネスを転換していこうという動きが加速すれば、当然職務内容には新しい要素が加わっていくわけだ。

こうしたことから、新しい職務を果たすためにスキルを再構築していく「リスキリング」が必要になってきた。
自分のテーマ自体も再構築が必要になるかもしれない。

時代は大きく変わってしまったのだろうか?

じつはそんなことはない。
ジョブ型だ、リスキリングだ、といっても、エンプロイアビリティを創造していくという観点からみれば、やるべきことは変わらない。

自分のテーマを追究し、専門能力を磨いていくためには学習と訓練が必要になる。
逆に、学習と訓練が、自分が追究すべき新しいテーマが見つかるきっかけとなることもある。
学習だけでは足りない。訓練の要素、つまり、実際にやってみてその体験の中から自分なりの理解を深めて行くという要素が、プロフェッショナリティをつくりだす。
一言でいえば、説得力が変わる、ということである。
自分の軸をもって問題解決や創造の業務ができるということは、エンプロイアビリティに直結する。

これは変わらないことなのである。

リスキリングが必要は場面は増えるだろう。しかし、「スキル」という言葉のニュアンスから、まずは新しいことを学習すれば良い、と考えるのは危険だ。「訓練」の要素は必要なのである。
そして、自分なりに腹落ちして、現実の場面、実践で生かし、プロとして成果をあげるためには、自分のテーマを明確にして、追求していくことが大変重要なのである。

新しいジョブにつくためにリスキリングが必要になり、これまでと違う新しい知識を獲得しなくてはならないとしても、あせることはない。
むしろ、これまで自分がテーマとしてきたことを、どう新しい職務に生かせるかを整理することを大事にしたほうが良い。

自分のテーマを発見したり、深めていくという側面からみれば、学習と訓練は、キャリア仮説の設定などコンセプトワークに役立つ。
また、学習や訓練の機会は、共通の目標や志向を持つ人たちとの交流が生まれるもとになることが多く、ネットワークのきっかけとなる。
通学制のスクールや長期にわたる勉強会、短期でも人数の限定されているセミナーなどでは、参加者同士が、たがいにコミュニケーションをもつ場ができる。
単なる情報交換だけでなく、励ましあったり、競争したり、意気投合したりしながら受講者全体にシナジーが生まれることもある。
同じ時間を共有した者同士が、学習期間が終わった後も、引き続きコミュニケーションを取り合うということは少なくない。場合によっては、受講者同士だけでなく、講師や事務局担当者なども、その輪の中に入る。お互いが人脈となり、ネットワークになっていくのである。

学習と訓練は、フィールドワークをするための前提条件となる場合もある。
実際に仕事をする前に、何らかの「仕込み」が必要になることはもともと少なくない。
どうしても特定のシステムやソフトに習熟しておかなくては参加できないプロジェクトもある。ルールとして、いくつかの資格を取っておかなくてはできないことになっている仕事もある。
また、特別なマナーや応対について、事前に最低限マスターしておかなくては、とても現場にでることはできないという仕事もある。

こうした学習と訓練は、いったん、企業の社員、あるいは、プロジェクトメンバーとして採用された後に、「社内教育」として行われる場合もある。しかし、あらかじめ特定の技術や知識、資格を持っていることが、中途採用だけでなく新卒採用でも、最低限の条件となるケースは増えている。

自分がどのような学習をし訓練をしたらいいかを自分で考えて決める能力は、今後ますます重要なものになっていく。
学習と訓練は、現場で仕事をする手前の段階でする技術的・心理的準備の意味がある。
しかし、それだけではなく、同時に、学習・訓練期間中に、自分のなかで、さまざまなシミュレーションをしながら心理的な準備をするプロセスともなる。
また、学習と訓練は、さらに、その仕事が本当に自分のやりたいことなのかどうかを確認する機会にもなる。

自分がめざす夢や目標に向かって一つひとつ成果をあげていくために、できる限りいい環境をつくる事は非常に重要である。
環境創造はエンプロイアビリティに直結すると言っていい。
「考え抜く」、「何かを企てる」と言うコンセプトワークには、それにふさわしい場所というものがある。
静かでゴージャスな空間を用意すべきだということではない。ある程度ハングリーな状況が功を奏することもある。居間の一角に確保した1平方メートルほどのスペースでも、未来の基地とすることはできる。 都心にある喫茶店の片隅に、混雑時でも集中力を維持できる席があるということもある。
いずれにせよ、自分を見つめて将来を考えることのできる最低限の環境がないなら、あらゆる工夫をして、なんとかしてつくらなくてはいけない。それなりの環境を設定することで、発想が湧き、思考の整理がおおきく進むことは非常に多い。
環境を変えること自体がきっかけになり、推進力となるという効果もある。環境創造は、コンセプトワークをするための場をつくるというだけではない。フィールドワークをするためにも必要である。
エンプロイアビリティを高めるためには、仕事をするフィールドがなくてはいけない。 少なくとも、自分のやりたいことにつながることができる場がなければ先に進むことができない。そうしてはじめて、経験と実績を作ることができる。
また、いい人脈を作り、人間関係を維持し発展させていくためには、自分が相手に提供できる情報(もちろん会社の機密事項をもらすような情報提供をまずいが) の質や、自分自身の魅力を高めることがプラスに働くのは言うまでもない。
自分が現在どのような仕事環境で何をめざして何をしているのか、何に興味をもっているか、時間をどのように使っているか、社会とどのように関っているか、自分の周囲にどんな人がいるかということが問われる。
ネットワークにとっても環境創造は重要なのである。
これらは、仕事の環境に左右される要因だ。
仕事のやり方に関する仕組み、時間・思考・行動の制約も含めた風土や慣習、コミュニケーションツールの有無や技術的レベルなどもふくめて、いい環境の中に自分を置くべきである。
毎日の職場が、そうした環境にないのなら、自分の手で今の環境を変えた方がいい。職場に変化を起こすのもいいし、上司や部下との関係を変えるのもいい。全く会社を離れたところで、ネットワークの仕組みを作ってもいい。それも難しいなら、異動して職場を変えるか、転職を考えた方がいい場合もあるだろう。
自分のやりたいことをやれる環境を実現するためには、周囲に働きかけて理解と共感を得なくてはいけないかもしれない。自分にとって都合がいいというだけでなく同僚たちにとってもメリットがあり、何らかの問題解決につながったり、夢や希望の実現に結びつくような付加価値の提案が必要になるかもしれない。
そうした試みは、自分がやりたいことが、どれだけ価値のあるものかということを自分自身に問いなおすとともに、 人々にとってどれだけ支持されうるものかをはかることになる。何を我慢すべきで、何をあくまで譲らずこだわりとおすべきのかも見えてくる。
周囲に働きかけながら、ぶつかったり、共感しあったりするなかでうまれる人間関係は、のちに情報力の源泉になることが少なくない。
いまある環境を、やりたいことができる状況に変えていくという発想は、常に重要である。
だが、自分だけに都合の良い環境というのは、そうあるものではない。
我慢や忍耐も必要になる。人を説得することなしに得られない環境もある。いま自分を取り巻いている環境をポジティブにとらえ、将来のために活用してやろうと言うマインドをもって仕事をしている人ほど、その人の魅力が高まる。
環境創造には、新しい環境を整備するだけでなく、いまあるものを、積極的にとらえなおして最大限活用するという意味もある。
それは、自分のテーマを追究する材料をいつも探すことにつながり、ひとと前向きに関係を結びながら自分のビジョンを表現する機会を増やし、現実に適応しながらもより高いものをめざす姿勢を失わないことにつながる。
環境創造のプロセスには、必然的に、エンプロイアビリティの基本となる専門能力、自己表現力、情報力、適応力と言う4つの能力が磨かれる機会が生まれるのである。