自分の蝶を放て!

新しいかたちが生まれ出るとき






締切が迫っているのに完成のメドが立たないことはある。
もう間に合わないんじゃないか。遅れたら、大変なことになる。
こういう危機感をもたらす「締切」は大きなストレスの元になる。

だが一方、締切があるから考えついたアイディア、せっぱ詰まって極限状態になるから生み出される工夫というのは、非常に多い。
せっぱ詰まると、逆にやってやろうという意欲が湧いてくることもある。
どうせ無理だと思われる課題にチャレンジしてやってのけてしまうことほど、面白く気持ちがいいことはない。
クライアントから、「無理だとは思いますが、これが実現できたらほんとうに素晴らしいことになるでしょうね。なんとか、やってもらえませんか」
と要求されたからこそ、やる気になって実現した仕事は、私の場合、とても多い。
無理だと断っても罪はなく、やってみましょうと応えれば自分の首を自分で絞めることになるのはわかっている。しかし、そういう危機的状況を、あえてつくりだすことで、せっぱ詰まった感覚を逆に活用して誕生したノウハウはいくつもある。

自分の中にある「やりたいこと」「できること」が、「人から要求されること」とシンクロして化学反応を起こす。さらに、せっぱ詰まると、体の中にある溶鉱炉の熱が高まり、自分の怠惰な部分を、そのときばかりはいともたやすく溶かしてしまう。
身体もハートもキツく、胃がキリキリするような状況になる。しかし、なんとかしてできあがっていくときは、新しい世界を見ることができた、生きていてよかったという感情が湧いてくる。
一瞬だが「俺って天才じゃないか」と思ったりもする。もっとも一晩寝ると多少クールになり、天才ではなかったと気づくのだが。
しかし、それでも、自分も捨てたものではないと思える。
こうして、人は自信をつけていくのだろう。

自分一人でやる場合だけではない。
同じ状況に置かれた仲間たちと一緒に、せっぱ詰まった状況を打開して、何かを形にしたという体験は、みんなに自信をもたらす。
結局は、闘って何かを成し遂げるたび、人間は強くなっていけるということだ。

年がら年中せっぱ詰まっていては、やってられない。
しかし、たまに、せっぱ詰まるときが訪れることは、まことにありがたいことでもある。