自分の蝶を放て!

人生は何のためにあるのか?






人間のもっとも大きな飢えは「人生が何のためにあるのか」という答えが見つからないことだ。(チャールズ・ハンディ)





この答えを見つけるためには、二つのことを知る必要がある。
ひとつは、自分らしくある(生きる)ということがどういうことであるか。もうひとつは、社会のために(広い意味での社会のためであれ、特定の隣人のためであれ)自分がどういう役割を果たすことができるかである。





ビジネスパーソンにとっては、「自分は何のために、どのような仕事をしていけばいいのか」という問いに答えを出すことが、「人生が何のためにあるのか」という答えを見つける一里塚、あるいはそれ以上のものになる。
どういう仕事をしたいのか、それはなぜなのかという問いに対する答えは、エンプロイアビリティを磨く動機でもある。
コンセプトワークで自分のコアを確認できれば、自分らしくある(生きる)ということがどういうことであるかは、かなりわかる。社会に対する自分の役割についても仮説を設定することはできる。
だが、社会に対する自分の役割は、実際にやってみて相手に感謝されたとか、評価してもらえたというように、相手の反応を得て、それに自分が強い意味を感じることではじめて実感が湧くものである。
この実感は、人生の方向性を考える自分自身に、大きな示唆を与えるメッセージとなる。
自分らしく生きながら、しかも社会に対して役割を果たし、周囲の人々から一目置かれている ーーー自分の居場所を見つけるということでもあるーーーという感覚を持つことは、「人生が何のためにあるのか」をつかむために非常に重要である。
このように、自分が社会の中で意味を持って存在していると感じる感覚のことを、私は自己社会内存在感と呼んでいる。
自分のやっていることが認められない、あるいは自分の存在自体が無視されていると感じるなど、自己社会内存在感が危機に瀕すると、人は心理的に不安定になる。
職人の世界に生きる人たちのあいだでは、お互いの自己社会内存在感を尊重しあえるかどうかが、昔からトラブルを回避するための重要な分かれ目だった。「腕」と人間を磨き一人前になっていくことが、自己社会内存在感を確立することでもあった。
多くの伝統的な日本企業でも、組織あるいは職場の一員という意識を持つことを重視する社員たちの間で、自己社会内存在感は一大テーマだった。彼らにとって、社会とは組織や職場だった。
最近では、プロフェッショナルを多数抱える組織(特に、専門職的人材の流動化が起きやすい業界にある企業)でメンバー一人ひとりの扱いに関して、新しい状況が生じている。
特定の組織に帰属することがアイデンティティではなく、高い専門性を認められたプロフェッショナルであること自体がアイデンティティと感じる人々の志向を尊重した組織体制への転換である。
こうした状況は、金融、コンサルティング、IT関連などの業界に限らず、いまは、ほとんどの業界でみられるようになっている。
エンプロイアビリティに対して高い意識を持つ自立志向のプロフェッショナルにとって、社会とは、(かりに社会を自分が働くフィールドに限定したとしても)いま自分がいる組織や職場だけではない。
いざという時に自分を雇ってくれる可能性のある新たな雇い主と職場も社会なら、価値提供の相手であるクライアントやユーザーをふくむ業界関係者全体を社会ととらえることが自然になっている。
エンプロイアビリティが「市場価値」と訳されることがあるのも、まさにこの表れだろう。
さらに、たとえ一企業に所属する個人であっても、専門家として、ひろく社会に影響力をもつにいたったケースは急速に増えている。
アナリスト、ストラテジストなど金融業界のプロといわれる人たち、コンサルタント、経営者、各業界のプロデューサーたちが、自分の仕事の範囲を超えてメディアに登場し、いままでにない発言力をもちうる時代になっている。ビジネスの一線で活躍する専門家が、大学など教育機関で講義をする機会も増えてきた。
そうしたプロフェッショナルといわれる人々の数は、さまざまな分野で、年々増加している。

社会に対して、どういう役割を果たすか。
いまや、このテーマを考えるときの「社会」の範囲は、上司・部下や先輩・後輩など特定の相手に対するものからグローバルな国際社会を意識したものまで、さまざまな枠組みがありうる。
自分が存在する「社会」の範囲は、ますます多様になっていくだろう。
しかし、現場で、価値提供する相手からの反応、あるいは、自分の仕事に何らかの評価をする人々からの反応をつかむまでは、自分の社会的役割を実感することができないことに変わりはない。
社会に対する自分の役割を知るためには、コンセプトワークだけでは不足であり、実際に仕事をし、ひととコミュニケーションをとるなかで、自分に対する評価を知る機会となるフィールドワーク、ネットワークがどうしても必要になる。