自分の蝶を放て!

あなたが本当にやりたかったことは何?






「新しい何かを創りだす」行為であるプロデュースは、問題解決の観点から、非常に重要な意味を持っている。
しかし、プロデュースによる問題解決の方法は誰も教えてくれなかった。
問題解決の考え方として、もっとも基本的でポピュラーなものは、「発生した問題には、必ず原因があり、その原因を突き止めて合理的対策を講じれば、必ず解決できる」というものだ。
これは、「合理的問題解決」と呼ばれる考え方で、ビジネスの一線では、この考え方が広く普及している。





企業は、うまく回していけば儲かるシステムをつくりあげてはじめて安定的に発展する。大企業は、どこもそういうシステムを築きあげて大企業になったのである。
システムが確立された事業は、新しい工夫によって発展する側面がある一方、確立した基本を変えずに、効率よく無駄なくうまく回しつづけることによって利益は拡大する。
つまり、ベストプラクティスを追求することが大事だという価値観は、事業がうまく回り出せば必ず信奉されていく宿命がある。
それが、既存のやり方を否定するような新しい考え方を取り入れられない足かせになることは、非常に多い。
効率の良いシステムが壊れぬよう、何か意思決定する際も、集団の合意を前提にするようになる。
すると、いいか悪いかを判断しきれないアイディアは、すべて却下か、または保留になっていく。
リスクのあるものでも推進し、自分個人で責任を取るようなリーダーシップは必要ないばかりか、非難されるべき振る舞いだということになる。
意思決定できる管理者は、現場感覚がうすれ、システムの秩序を乱さぬためにも、さらに現場から遠い上位の管理者の意向に従うことを第一に行動するようになる。
組織として公式に決定され、発表された指示を、あとで反故にして違うことをやることは非常に困難になる。これが、出した商品に対するユーザーからのクレームが多発しても、次の開発スケジュールを優先し、クレーム対応は後手に回るという事態を引き起こす。それでユーザーが納得してくれればいいが、そうならず、店頭でも販売員からそっぽを向かれ、市場シェアがダウンして悪評が浸透してしまっても、利益が出ているうちは、なかなか動けない。
こういう悪循環が、収益のあがっている企業ほどつづいてしまうのである。





決まった枠組みに囚われて、自由に、そして真剣に自分自身で考えて行動できないという現象は、子供の教育でもいえる。
まず、お金をかけて実績のある塾に通わせる。いい家庭教師をつける。就職のいい大学に入れるように偏差値を高める。受験指導のうまい予備校は、どういう考え方でどういう勉強法をすれば、もっとも少ない努力で最大の効果が出るかを教えてくれる。
どうすれば、どこの大学に入れるかは、かなりパターン化されていく。
お金さえあれば、あとは子供と親にやる気さえあれば、正しい情報さえ得られれば、すべてはロジカルにいくところまでいく、ということになるのである。
前提には、偏差値の高い大学に入るほど、その先が恵まれた人生になる確率が高いはずだという価値観がある。
有名企業や公的機関に就職するか、ステータスの高い資格を持った専門職につくことが、恵まれた人生への、もっとも近道、あるいは確実な道というイメージを持っている親は多い。
これは、あまりワクワクドキドキしない考え方だし、これが間違いだという事例も数多い。
しかし、わかりやすい考え方であり、そういうキャリアを理想的だと想定して提供される情報も多い。傾向と対策もとりやすい。
一方、高校を辞めて将来の独立開業を目指して飲食店で修行したいとか、イラストレーターをやりたいとか、芸人を目指したいという夢は、そういう基本線からはみ出したものとして親や先生から「やめておけ」といわれたり、「とにかく大学に入ってから考えろ」といわれたりしがちだ。
これらは、どうしたらそうなれるのか、なったらどういう生活ができるのかといった情報として、受験予備校のような「これをこうすればなれますよ」と教えてくれる学校もなく、決まったパターンがない。情報はさまざまなところに分散していて、いろいろな人に会って話を聞いたり、自分なりに工夫していかなくてはならない。そこに至る道もさまざまで、決まったルートがない場合もある。
だから、相談を受ける親や先生も自信を持って答えられない。自分自身の経験や身近な人たちの情報を基に判断して、どうしても無難な結論になってしまうのは、無理もないことなのである。





プロデュースによる問題解決の方法は誰も教えてくれなかった。
教えてくれないだけではなく、やめておけとか、それなら勘当だと、世の中の一般的な価値観に足を引っ張られてきたともいえる。





自分の本当にやりたいことは何なのかを、自分を深く見つめて考えたり、人生の冒険をしながらさまざまな体験をし、人と出会い、「これだ!」と思えるものを試行錯誤しながらつくっていく機会を持てた人は、けっして多くないだろう。
誰も教えてくれなかった、といったが、教えようにもプロデュースについて教えてくれる人はきわめて少ない。それに、プロデュースは人から教えてもらうだけでできるものではない。
「自分」がなくては、プロデュースははじまらない。
プロデュースは、自分で考え抜いて、自分で動いてみて、人と出会って化学反応を起こしてはじめて、実現できるものなのである。