コンサルタントの事件簿

私は何者か? 誰をどうハッピーにするか?


 小学校3年になったとき、組替えがあり担任教師は替わった。前の担任教師は3年生の受け持ちにはならなかった。新しい担任は、教育に情熱をもった前向きな女性教師だった。だが、怒るととても怖いひとだった。私は、この先生はわかってくれる人だと思っていた。だが、はじめの数か月は、前任の担任教師から引き継がれた情報に基づき、私はかなり押さえつけられた。

 私は、こいつなら、と思う相方とコンビを組み、教室で漫才をやりたかった。同じクラスのSとみんなを笑わせようと意気投合して、ネタをノートに書き溜めて、二人で練習し、先生にやらせてくれとお願いした。そして、じゃあやってみなさい、と許可を得てコンビデビューを果たした。ダジャレを入れまくった。言葉のリズムを大事にして、流れを途切れさせないことを心掛けた。
 実際やってみると、ひとを笑わせるのは難しいことだった。だが、またやってくれとみんなに言われた。そして、我々は度々、教室の前に登場できるようになっていった。ようやく、クラスに笑いをおこすことができる状態になった。
 それ以降、先生の態度は変わった。私は動きやすくなった。

 いつも何人かの男子に「ブス、ブス」とからかわれている女子がいた。いじめまではいかないと感じたが、その揶揄は本人を傷つけていた。そういうのをいじめというのだろう。様子を見ていると、いつもその女子は言われてもじっと耐えている。友達もあまりいない子だった。
 勝手だが、アドバイスした。「ほんとはブスじゃないんだから、もっと笑顔にして、言われたときに、なんか言い返してやりな」といって、私の相方のSを含めて数人の男子をあつめて、いつものように男子グループのちょっかいがはじまったときに、一歩離れて見守りながらその女子をサポートしようと考えていた。
 正義感というより、ただその女子に殻を一枚破ってみさせたかったという感覚だった。意外にもあっさりと、その女子は殻を破ってしまった。表情が明るくなり、それから誰もその女子をブスとは言わなくなった。我々は、何かじわっときていた。「あいつ頑張ったな」という感じだった。

 コンサルタントは、みな、なんらかおせっかいを焼き、それが、問題解決や、組織やチームの活性化や、何か新しい価値あることの創造につながり、誰かをハッピーな状態にした体験を大事にしているといっていい。自己満足かもしれないが、それは、人に見つからないように泣いてしまうくらいのうれしいことでもある。要するに、それにはまって、味を占めたのである。

 とても昔の、子供時代の記憶を引っ張りだしてしまった。もちろん、社会人となって以降に、自分の感覚を生かして何らかの仕掛けをして実行し、明確に誰かをハッピーな状態にし、相手に経済的な価値を生みだし、こちらも報酬を得る、という体験がなければ、コンサルタントにはなってはいないだろう。私も20代前半から蓄積してきた、その種のネタはかなりある。
 その話はあらためてできればと思うが、子供時代を含め、本人にとっての重要なエピソードを洗いだして記述していくことは、じつは、誰にとっても、たいへん役立つことがある。

 私は、いったい何者なのか。やりたいことがあるが、それが自分にとって大きなエネルギーを使ってもやるべきことなのか。成功できるようなことなのか。本当に自分のやるべきことは何なのか。どうすれば、ぶれない自分らしい軸をもち、堂々と自分を信じて行動していけるのか。

 これらの問いに答えを出す際に、これが生きるのである。(つづく)