コンサルタントの事件簿

ビジョナリーサッカーが、いまこそ日本に必要じゃないか?



AFCアジアカップ UAE2019は、カタールの優勝で幕を閉じた。
日本は準優勝。カタールのすごいシュート2本で決勝戦の前半に2点をリードされた日本が勝つには、後半、2点目を早くとるしかなかった、そうなれば・・・
ということはある。
しかし、それは置いておき、カタールの勝利は祝福し、そのうえで、どうしても納得できないことがあった。

若干、抽象的なことなのだが、考えを聞いていただけたらありがたい。

グループステージから、ずっと違和感を感じていた。

選手たちが、特長を生かせていない。観ていてワクワクしないというレベルではなく、みな、楽しくなさそう、情けなさそうな気持ちが伝わってくる。能力をだせずに、結果として弱いチームになり、負けてもおかしくない闘いを繰り返している。
応援しているこちら側も、当然面白くない。

日本代表の戦いぶりに、誇りは、とても持てなかった。

かつて高校サッカーの全国大会で強豪チームが格下相手のチームにやっていた、守りを固めて失点ゼロに抑え、確実に1点取るというサッカーと同じではないか?
しかも、アジアのレベルが上がっている中で、それは、自分の得点能力をわざわざ減少させて、結果的に負けるリスクを増やしていたんじゃないのか?

そんな気がしたのだ。

2018ロシアで開かれたワールドカップで、日本は、ノックアウトステージ(ベスト16)に進んだが、ベルギー相手に惜しい試合を落として負けた。
しかし、あの試合を見て、本当に誇りを感じることができた。日本の良さ、目指すべき方向が感じられた。

日本サッカーは良くも悪くも人が良くフェアプレーで、マリーシア(ずるがしこさ)が足りない、と言われたが、その先に、マリーシアがなくても勝てるすごい未来の日本サッカーが拓けていきそうで、今は進化の過程なのだ、と思えた。

だが、アジアカップの森保ジャパンに、それはなかったように思う。

今回の大会で、多少なりとも誇りを感じられたのは、イラン戦と、グループステージ第3戦、すでに第2戦でノックアウトステージへの出場を決めた後のウズベキスタン戦。

イラン戦は、格上といわれる相手だった。相手へのリスペクトがあり、リスクを取っていかないと突破口がひらけないというマインドを感じた。
グループステージ第3戦のウズベキスタン戦は、仮に負けても勝ち抜けるため、主力を休ませるために先発を総入れ替えした。当然、レギュラーでない選手たちは思い切りやる。この試合には別世界があった。

つまり、負けてもよい試合か、普通にやれば分の悪い試合しか良さが出なかった。
それ以外は、手堅く戦っているつもりで、かえって危なくなってしまうという闘いだったと思う。

審判の笛の吹き方も違うアジアならではの難しさは、確かにあると思う。

だが、そこに、日本サッカーの未来は感じられただろうか?
感じられなかったと思う。

世界ランク50位の日本は、これでいいのだろうか?

代表チームは、もっとビジョナリーであるべきではないのか?

われわれは、こんなサッカーを目指すんだ、と。だから、そこに向かってチームを進化させていくことに力を貸してください、一緒に戦いましょう、と監督も選手も、協会もいうべきではないのか?

かつて乾貴士選手の育った滋賀県の野洲高校は、山本監督が掲げた「セクシーフットボール」で旋風を巻き起こした。
それまでのサッカーは、一度負ければ終わりのトーナメントを勝ち抜くため、負けないことを最優先にした守りのサッカー中心だった。
セクシーフットボールは、「高校生たちがこんなサッカーをやっていたら日本の未来はない!」という、それまでのサッカーに対する強烈なアンチテーゼだった。

〈観る者を魅了するような個人技を大事にして、それをチームで連動させてスペクタクルなサッカーを展開する〉、という野洲高校のセクシーフットボールは、乾選手が2年のときに全国優勝を果たす。
 
今の高校サッカーをみれば、なんと選手たちの個人技が素晴らしいのかと思う。ボール扱いも、プレースタイルも、どこからどう見ても、セクシーすぎるレベルになっている。
もちろんもっと上があるだろう。だが、そこに向かっていると感じられる。

「セクシーフットボール」は、日本の高校サッカーを変えたのだ。

じゃあ、大人のサッカーはどうだ?

日本サッカーは、アジアカップを逃した。
しかし、これを糧にできると思う。

どんなサッカーで世界を相手に誇りをもって、自分たちを生かして戦っていくのか。見る人たちに、どんなメッセージを与えるのか。何を目指すのか。

今、必要なのは、ビジョナリーなサッカーではないだろうか。

マスメディア、特にテレビは、放送に視聴率がついて回るから最後まで負けてほしくないだろう。しかし、「1試合負けたらおわり」ばかりを連呼するのはやめてもらいたいものだ。

日本が、誇りを持てる未来をひらくために、その誇りを共有できる状態を一緒に作ることに一役買ってもらいたいと思う。
メディアも、いまこそ、ビジョナリーな転換をしてもらいたい。

みんなが、それぞれに持っている可能性を生かして、誇りをもって未来をひらいていくために、いま、一段高い視野、ワクワクする魅力的なビジョンが必要だと思うのだ。