自分の蝶を放て!

人はなぜコンサルタントになるのか


 コンサルタントは数多くいるが、コンサルタントには、コンサルタントになる理由があると私は思っている。

 こんなことじゃいけないんじゃないのか? こうあるべきじゃないのか?

 目の前に起きている出来事、あるいは事件といってもいいかもしれないが、なんらか、違和感を持つ現象にたいして、放っておけない! というおせっかいな気持ちを自分が持ってしまう人種だということに気づいてしまったことが、理由の一つであることは間違いない。

 そうなるには、何らかの目覚めがあったはずだ。
 コンサルタントたちに話を聞いてみると、トラウマになるような経験が契機になっている人が結構いる。

 ある50代のキャリア25年のコンサルタントは、新卒で入社した大手メーカーで労務担当をしているときに、一つの事件に遭遇した。同期入社の男子社員が職場でパワハラを受け、精神的に追い詰められ、会社を辞めざるを得ない状況になったのだ。
 彼は労務担当として、状況をわかっていたにもかかわらず、同期の仲間が精神的に壊れていくことを阻止できなかったことを引きずっているのだという。
 30年たった今も、その時の忸怩たる思いは、トラウマであり、同時に、彼にとってのエネルギー源にもなっている。
 彼は、当時、会社に大きな限界を感じたという。そして、良い職場づくりを自分の手で実現できる仕事がしたいと思い、創業期のコンサルティング会社の門をたたいた。
 それが彼の感性であり、こだわり方だったのだと思う。彼は、コンサル会社の創業期を支え、発展に貢献し、いまも一コンサルタントとして、日本全国を駆け回り、現場の目線を大事にして本当にいい仕事をしている。

 30代前半のころ、私は「人はなぜコンサルタントになるのか」というテーマで十数人のコンサルタントにインタビューを開始しようと試みて挫折したことがある。
 自分自身がコンサル活動をしはじめた頃のことだった。
 リクルートからコンサルファームに転職しボスをインタビューしよう、と思ったのがいけなかった。
 当時のボスに、趣旨を話してお願いしたところ、「そんな馬鹿なことはやめろ」と言われてしまったのだ。
 だが、そのボスは、新宿のうらぶれた居酒屋に私をさそってくれ、自分がコンサルタントになるときのことを飲みながら語ってくれた。
 そのとき49歳だったボスは、20代のころは会社員をしていた。新卒で造船会社に就職し、5年たったころ、勤労担当として勤めていた工場の門を、朝、出勤する際にくぐれなくなったのだという。ある日を境に工場の門をくぐろうとすると激しい吐き気が襲ってくるようになったらしい。組織に渦巻いていた理不尽にたまらなくなった無意識の感性があったからなのだろうと、私には思えた。
 そのボスは、その造船会社で見込まれていたらしく、退職願を人事部に受け取ってもらえず、永久無給嘱託扱いにする、という名目で実質的な退職を認められたのだという。
 そして、彼はコンサルタントになり、リーダーシップ教育や組織開発分野で活躍していた。コンサルタントになってからも、様々な企業の現場で様々な理不尽を目の当たりにしてきたという。だが、それでも、ボスは、二度と吐き気に襲われることはなかった。
 それは、ボスが一人のコンサルタントとしてやってきた仕事が、なんらかクライアントを良い状況に変えてきたという事実があるからなのだろうと私は思った。
 自分を生かし、誰かをよりハッピーな状況にする。それがコンサルだ。そして、人間として生きている意味でもあり、たとえ理不尽が完全には消え去らなかったとしても、未来に向かって何かがひらけていくことなのだと思う。

 私の場合、原点となるトラウマは何だろうか。
 5歳のとき、私は、自分には人に気づかないところに気づくにところがあると感じ、以来、それを周囲に伝えると良いことが起きるという感覚を持つようになっていた。
 小学校に上がって、学校で先生の指導が生徒をおかしくしていると感じると、私は何か物申してしまうような子供になった。教師からみれば、厄介な存在だったはずだ。
 2年生のとき、担任の教師は、50歳を過ぎた女性で、子供たちにむかって、誰かが失敗して人生を転げ落ちていったというような暗い話を長々とする人だった。話には感動も教訓もなかった。あらゆる授業は面白くなく、彼女の語るエピソードは、まともに聞いていると未来に夢を持てなくなってしまう話ばかりだった。
 こんなことでよいはずはない、と私は子供ながらにいつも思っていた。
 授業で彼女が話をしているとき、私はいつも窓から校庭を眺めながら、何とかして教室に笑いを起こすことはできないものかと妄想していた。授業態度の悪い私は彼女から常に目の敵にされていた。全学年を集めた集会で「悪ガキ」が数人、皆の前に出され、往復ビンタをされたこともあった。私はほかの悪ガキの2倍ビンタされた。それでも、私は自分が悪いとは思わなかった。クラスに笑いを起こすことをあきらめる気もなかった。だが、それもトラウマだろう。そういうことが何度かあって、私は、自分は自分の周囲にいる人が理不尽にハッピーな状態になれないでいることにいらだち、何とか工夫をして現状脱却を仕掛けたいとあがくやつなのだと気づいていったのだと思う。(つづく)