コンサルタントの事件簿

自分流の儀式をつくりだせ






さあ、これから仕事にとりかかろうというとき、自分流の儀式をもっている人は強い。
企画書をつくるとき、あるいは原稿を書きはじめるとき、いつでもパソコンに向かってスッとはじめられるかといえば、なかなかそうはいかない。
表現にこだわりたいとか、絶対にプレゼンに勝てるアイディアを盛り込まなくてはとプレッシャーがかかるときは、なおさらスタートまでに時間がかかる。
自分の思考が整理され、気持ちがのってくるかどうか。
そこが問題である。
机の上の整理からはじめるという人は多い。たしかに、机の上が整理されると、頭の中も整理される。もっとも、机の上が一見ごちゃごちゃな状態でも、とにかく、どこに何があるか、それがいまの自分にとってどういう意味がある資料か、ということがわかっていればいいのだが。
手の爪を切って、つぎに足の爪を切るという人もいる。
すべての指の爪を切って、それでもダメならもう一度はじめから切り直す。
そのために、はじめに切るときに深爪しすぎないようにしておくという。
それで集中力が高まってくるのなら、これも立派な自分流の儀式だ。
本を三十分読むことを儀式にしている人もいる。
本を読むと、思考が言葉によって整理され、心が落ち着いて集中力が高まってくるという効果がある。
私の場合、不思議なもので、手書きで図や絵を描くと頭の中が整理されて、しかも先の流れがイメージできるようになる。
これは悪くない。
なぜなら、絵を描くこと自体が楽しいのだ。自分で手書きする絵にはパソコンにない自由度がある。それが、自分オリジナルのものをつくっている喜びにつながる。そうしているうちに、自分の世界に入っていける。
音楽も効果がある。
原稿を書きはじめる前、あるいは言葉出しが大事な企画をまとめる前に、シンガーソングライター系の曲を聴くと、言葉とメロディーの刺激が前頭葉に作用する。自分で曲を作って歌うミュージシャンのように、自分もいいものをつくってやるぞという気持ちが、なぜか湧いてくる。
しかし、実際に書き出してしまうと、音楽は逆に耳障りになる。
要するに、これらは心を安定させ、仕事に向かう頭を整えるための「触媒」なのである。
バッターボックスに入って打球をうつ構えをとるすべてのプロ野球選手は、自分の型をもっている。それが、物真似されるネタにもなる。
たしかに個性的なスタイルだったりするわけだが、それは単なる自己表現ではなく、その選手が勝負の時空間に入っていくときの「自分流の儀式」である。
欠かさずにそれをすることによって、精神的に、その世界に入り込んでいく。儀式をかたくなに守ることで、いつもの自分のスイングを実現する。
自分の「型」を決めることで心技体を安定させているのだ。
コーチに修正するよう指摘されても、これが一番だと信じるなら、自分の型を変える必要はない。
わがままなようでも、自分が納得できる自分であり続け、いい状態でいられるからこそ、周囲の人たちに価値を提供できると考えることは間違っていない。





仕事に向かう頭をつくる自分だけの方法を用意しよう