自分の蝶を放て!

ストーリーを描けない人のためのプロデュース論






「プロデュースには、ストーリーが必要だ」
そう言われるたびに、少し身構えてしまう人がいる。





未来を描くのが苦手。
言葉にすると、どこか嘘っぽく感じる。
きれいな物語を語る自分に、違和感がある。





もしそう感じているなら、
それは能力が足りないからでも、
センスがないからでもない。





むしろ、とても自然な感覚だと思う。










ストーリーが描けない人は、現実をよく見ている





ストーリーを描くのが苦手な人ほど、
現実の複雑さや不確実さをよく知っている。





未来は思い通りにならない。
途中で気持ちは変わる。
状況も、人も、自分自身も動いていく。





それをわかっているからこそ、
軽々しく「こうなるはずだ」と言えない。





それは弱さではなく、
現実感覚の鋭さだ。










プロデュースに必要なのは、完成した物語ではない





プロデュースに必要なのは、
最初から整ったストーリーではない。





「いま、これはおかしいと思っている」
「この状況は、できれば変えたい」
「理由はうまく言えないけれど、気になっている」





この程度の違和感で十分だ。





むしろ、
違和感を雑に物語化しないことの方が大事な場合もある。










描けない人は、あとから意味をつくるタイプかもしれない





ストーリーには、二つの描き方がある。





一つは、
未来を先に描き、そこへ向かって進むタイプ。





もう一つは、
動きながら、あとから振り返って意味を与えるタイプ。





後者の人にとって、
「最初からストーリーを描こう」とすること自体が負荷になる。





でも、それでいい。





プロデュースは、
必ずしも前者だけのものではない。










ストーリーの代わりに、持っておくといいもの





ストーリーが描けない人が、
代わりに持っておくといいのは、
たった一つだ。





それは、
「これは、いまの自分にとって納得できるか」という感覚。





今日の選択が、
昨日の自分より少しだけましだと思えるか。
誰かに説明できなくても、
自分の中では筋が通っているか。





それだけで、十分に前に進める。










ストーリーは、必要になったときに現れる





不思議なことに、
動き続けていると、
ある日ふと、点がつながる瞬間がくる。





「あれは、こういう意味だったのか」
「自分は、こういう方向に向かっていたのか」





そのとき初めて、
ストーリーは姿を現す。





それは、
最初から描いた物語ではなく、
生きてきた結果として立ち上がる物語だ。










描けないままでも、プロデュースは始められる





未来が描けなくてもいい。
言葉にできなくてもいい。
立派な構想がなくてもいい。





プロデュースとは、
ストーリーを語れる人の特権ではない。





違和感を放置しないこと。
小さな選択を重ねること。
その積み重ねの中で、
あとから意味が見えてくる。





それも、立派なプロデュースだ。