コンサルタントの事件簿

プロデュースが可能にする問題解決






「新しい何かを創りだす」行為であるプロデュースは、問題解決の観点から、非常に重要な意味を持っている。
問題解決の考え方として、もっとも基本的でポピュラーなものは、「発生した問題には、必ず原因があり、その原因を突き止めて合理的対策を講じれば、必ず解決できる」というものだ。
これは、「合理的問題解決」と呼ばれる考え方で、ビジネスの一線では、この考え方が広く普及している。
解決方法を論理的に説明しやすく、会議の場で多くの人の合意をとるときにもスムーズにできる考え方である。
しかし、この方法では解決がつかない問題がある。
原因を突き止めても、合理的対策がとれない問題、あるいは原因自体がわからない問題もある。
じつは、プロデュースは何かを創りだすだけではない。こうした問題を解決することができるのだ。





二種類ある問題解決の発想





たとえば、土日が休みの工場で、月曜日の午前中につくられる製品に多くの不良品が発生するようになったとしよう。この問題には原因があるはずだ。
なぜ月曜の午前中なのか、という観点から想像できる原因はいくつか出てくる。





(仮説1)機械が再び動き出して調子が出るまでに時間がかかる状態になっている。
→機械のどこかにそういう問題があるかは、さまざまな可能性がありうる





(仮説2)使用する水が、配管が古くなってサビが出るなど月曜の朝は汚くなっている。
→不純物が多く混ざった水が、不良品を生み出しているかもしれない





(仮説3)月曜の午前中に相当な疲労を抱えたまま作業にあたっている人間がいる。
→土日、特に日曜日の夜に何らかの原因により睡眠時間が極端に短くなってミスをしやすくなっている現場社員がいるかもしれない





(仮説4)班長に昇格した人間が朝の班長会議で10分間自分の持ち場を離れている間に何らかの問題が発生するようになった。
→班長に昇格した人間のなかに、現場での機械調整を毎日職人技で行ってきた者がいて、本来持ち場を離れられないが、班長会議に出席しないわけにはいかないと決められているかもしれない





この問題は、機械や設備の問題か、人間的な問題かは別として、原因がはっきりすれば対策を立てることができ、あとはそれを実行すればいい、とロジカルに考えられる。原因さえわかれば、原因をつぶすことはそう難しくないという発想をすることができる。
これが、「合理的問題解決」の考え方である。





しかし、次のような場合はどうだろうか。





(問題A)生産拠点が中国に移り、工場が撤退した街は沈滞化している
(問題B)発泡酒やその他雑酒(第3のビール)の浸透でビールの売上がダウンしている
(問題C)C社で入社三年めまでの若手社員の35%以上が退職している
(問題D)長年確執を抱えてきた二つの集団が抗争を繰り返している
(問題E)日本の少子化が進んでいる
(問題F)私はXさんに嫌われている





これらの問題は、いずれも原因はある程度解明できるだろう。関連する情報を徹底的に集め、それを分析し、問題の構想を明らかにすることもできる。
しかし、原因が究明され問題の構造が整理されても、それだけでは絶対に解決できない。
原因をつぶすという発想で解決が進まないからである。
Aの場合、中国に移った工場をふたたび街に戻すためには、生活できないような安い人件費に押さえなくてはならないかもしれない。
Bの場合、ビールの売上をあげるために発泡酒の生産を抑制すればいいかもしれないが、会社全体の立場に立てば、トータルな売上・利益を失う可能性が高い。
Cの場合は、35%という退職率を減らすことは可能だが、世の中のトレンドを考えながら、どこまで若手社員に快適な状況をつくるべきか、組織全体をどう変えていくべきか、今のC社の能力のなかで、業務に支障が出ない範囲でどこまで対応可能なのか、といったことを考えなくてはならない。つまり、すぐに解決すべきで、しかも解決可能な部分と、企業のビジョンや戦略があってはじめて問題意識と解決策が出てくるという部分がある。
Dの場合、歴史的な経緯が背景にあり、融和をもたらすためには、きっかけとなったことを総括しなくてはいけないだろう。しかし、それを双方が認めない(認めたくない)場合もある。
第三者の仲介で両者の間にある障壁のいくつかは取り払われても、人間同士の確執が双方の心のなかから相当減らない限り、新しい抗争が生まれてしまう可能性は常にある。
Eの場合、原因をつぶせば少子化は解消されるはずである。しかし、その原因はすぐにはつぶせないものばかりである。たとえば、結婚せずに子供を産むことは望ましくないという価値観が強い日本のカルチャーを変えるには時間も労力も相当にかかるだろう。ビジネス社会には、できる社員には男女を問わず、できるだけ休まず多くの時間を会社のために使ってもらわないと勝ち残れないという現実が、まだまだあるといわざるをえない。都会の住宅は狭いという現実。子供がいない人生のほうが、好きなことをやれ、気楽で豊かだと多くの人が考えるようになっている現実。これらを変えるためには、社会の価値観と制度、生活スタイルを大きく変えるような大がかりな施策が必要だ。
Fの場合は、嫌われている理由が解明できるかどうかもわからない。Xさんが、私を嫌いな理由を認識していて、きちんとわかるように話してくれるかどうかはわからないのである。仮に、理由がわかっても、それが私の生まれついた性格や身体的特徴や、これまでのキャリアや家柄に起因するものなら、「原因」をつぶすことは難しい。あるいは、Xさんの側に、昔ひどいいじめを受けた相手に私が似ているという事情があったとしても、その事実は消しようがない。
これらの問題は、いずれも原因をつぶすという発想では解決できない。
何か、まったく新しいアイディアが必要なのである。
アイディアを実行することによって、結果的に問題が解決されるという考え方に立って進めないといけないのである。
そのアイディアは、集団のディスカッションによって出てくる場合もある。
しかし、たった一人の自由な発想から生まれることも多い。
そして、たった一人の発想から出てきたアイディアが、もっともいい解決をもたらす場合もありうる。
だが、合議によって意思決定される場合、個人のユニークさから発送されたアイディアは採用されにくい。
企業では、なぜそのアイディアが正しいかを証明し、多数が納得することが合意形成のルールになっていることが多いが、「合理的な問題解決」の考え方では解決できない問題を解決する大胆なアイディアには、なぜそのアイディアが有効なのかを合理的には説明しきれない要素が、どうしても残る。
おもしろいし、悪いアイディアではないと周囲が思っても、実際にやってみないとわからない要素がつきまとえば、ルール(暗黙の慣習、文化も含む)上、ゴーのサインが出せないのである。
したがって、そういうアイディアを実現させるためには、強力なリーダーが、責任を持ってアイディアを採用して実行を推進する体制があるか、自分自身がそういうリーダーになるか、あるいは、覚悟を決めてやってしまうしかない、ということになる。
プロデュースの決定には、多人数による合議が向いているとはいえないのである。





また、工場で不良品が増えるとか、サービスに対するクレームが多発して競合にシェアを奪われるといった問題と違い、これらの問題には、問題自体にあいまいな要素が含まれている。
見方、考え方によっては、「それは問題ではないんじゃないか」というとらえ方もできる。「しかたがないじゃないか」「それでもよくやっているじゃないか」「そういう時代なんだ」「このトレンドのなかで最善の方法をとることが大事だろう」などということで納得し、このまま現状を受け入れていくよりしかたがないという考え方も成り立たないとはいえないのである。





しかしいっぽう、「それではだめだ」「いやだ」「こうしたい」「そうすべきなのだ」と考え、だから「そこには大きな問題がある」ととらえることも、もちろんできる。





したがって、こういう問題に対処する際はまず、問題を提起しなくてはいけない。
何が問題なのか。それは、なぜ問題なのか。なぜ、このままではいけないのか。
どういう状況を目指したいのか。それはなぜなのか。
こうしたことを示さなくてはいけない。
そして、まず「やってみよう」と考えるかどうか。「一度きりの人生、ずっとやってみたかったことをいまこそやってみよ」といってくれる強いリーダーがいるかどうか。どんなことをしてでも自分自身でやり遂げてしまうパワーを持った人物がいるかどうか。彼、あるいは彼女に賛同して集まり、支援してともに闘ってくれる人々が現れるかどうか。アイディアを実現できる環境を創造していけるかどうか。
そうしたことが、これらの問題を解決する鍵になる。
これは、まさにプロデュースなのである。